7-13-2001(Fri.)

心みだれて

 なんちう邦題だぁと思ったら、原題も「HEART BURN」なのね。どう考えても恋愛物なのに、なんでわたくしが見てしまったかとゆーと、ジャック・ニコルソンさんが出ていたから。こりもテレビで見た映画で、水野晴夫さんがやってた番組だったかなぁ。確か水曜の深夜とか、平日の突飛な時間にミッド・ナイト・シアターみたいな枠で、ノーカット2本立ての映画をやってた頃だと思います。

 あんまり内容も憶えてないんだけど、ジャック・ニコルソンさんとメリル・ストリープさんを夫婦にしようと思い付いたのは誰なんだろう?とゆー疑問が、ふつふつと沸いてくる映画でもありました。映画の中でとっても印象的だったのは、ワシントンD.C.の実家とニューヨークの婚家をやたらに飛行機で往復しちゃうこと。「わたくし実家に帰らせて頂きます」ちう場面になると、バスに乗るみたいな感覚でポンポン飛行機に乗ってしまう。そのくらい頻繁に便も出ているそうなのだが、これは現地へ行って「にゃるほろね」と思ったことでもありました。

 もう1つニューヨークらしいなぁと後日感じたのは、浮気がバレたジャック・ニコルソンさんから、メリル・ストリープさんは確かごめんなたいの指輪を買ってもらったお話。それを友達の家のホームパーティで見せびらかしたくて、巨大な石の着いた指輪をしたまま地下鉄に乗ってしまうのですね。しばらくぼ〜っと座っていると自分の宝石にじっと注がれた視線に気付いて、慌てて石をくるりと掌側に回して隠すんだけど、時すでに遅し。目の前に立った男にしっかり見咎められて、友達の家まで付けられた挙句、にわか強盗になってしまうシーン。これって、ニューヨークをよく現していると思います。



 アメリカという国は、行ってみるまでもっと物騒なところかと思っていたけど、ハメさえ外さず常識的に生きていれば、思ったほどはコワクないです。もっとも庶民がフツーに利用する地下鉄ですらこんな調子なので、ビックリするほど安くそこそこ文化的な生活が送れてしまうけど、安いものにはそれなりの理由もございます。映画の中でも自分のせいで押し込み強盗に遭ってしまってみんなに謝るメリル・ストリープさんに、「大事な指輪を盗られちゃって」と慰める友達がいるのだが、「いいのよ、こんな指輪をして地下鉄に乗るほうが悪いんだもの」というようなセリフが出てきます。つまり「それなりの生活」には「それなりの手段」というものもあるわけで、そんなゴージャスな物をひけらかすから、にわか強盗を生んでしまうのだという言い分。

 根本的に人が何をひけらかそうと脅して盗って良いわけがないし、同義的に「なんか違うぞ」と思いながらも、アメリカという国の意外に貧富の差が激しいことに、改めて驚いてみたりする。ぢゃ、なんだったらいいのよ?ってことになると、この場合は地下鉄なんぞに乗らず、車で行かなくてはいけません。しかも、もうけっこうお腹が目立つ妊婦さんなんだからね。イザとゆ〜とき身軽に動けないんだから、流しのイエロー・キャブでも不安なら、リムジンとガード・マンを雇って移動しなくてはならん。極端に言うと、それくらい「場違い」なことをしてしまったとゆーことらしいです。んでわ庶民が宝石を着けたらいかんのか?とゆーと、そんなことはないんだけど、T.P.O.をわきまえて行動するということに関しては、日本より遥かに身分の壁は厚いような気がします。

 宝石を着けて地下鉄に乗る人もいなければ、毛皮を着て裏長屋から出てくる人もおりません。気取ってお出掛けするときは地下鉄なんかに乗らないし、そもそも日本で言う「ビストロ」「リストランテ」くらいの格式の場所に、予約もナシに入れることは殆どないです。従業員、それもペーペーの下働きではなくて、支配人クラスの人と顔見知りか、よほど通い倒して店員とツーカーでないと、フツーは断わられる。そういう厳然とした背景があるからこそ、こっちで言うファミレスみたいなダイナーや、ファーストフード文化が必然的に生まれたのもよく分かります。もちろん「ジャンク・フード」という呼び方はその名のとおり「ゴミ飯」で、週末誇らしげに家族で通う場所ではありません。でもそれが貧民の生活ではなくて、庶民の当たり前の暮らしを支えているものでもあったりするんです。

 考えてみたらそれも当たり前で、アメリカン・ドリームと称する「一獲千金」がいまだ健在のお国柄では、貧富の差は激しいに決まってます。王候貴族や大財閥がいるところで庶民が全て日本のように中流意識を持って、物資に恵まれた生活を送れるワケがないんですよね。この映画では、ワシントンD.C.の実家もニューヨークの婚家の様子も、適度に裕福な中流くらいの家庭ではあるけど、それだけに「幸せそうに見えたのに」ということを強調したかったんだろうなと思います。ちなみに「中流」という意識も、日本とは全然違う。アメリカの庶民層の中の裕福な家庭といったら、バス・トイレ付のゲストルームを完備していて、パーティルームと家族の居間は別。ダイニグルームとパーティルームももちろん別で、日本でいうダイニングルームはキッチンの中の家族専用食事場所みたいな感じです。



 さて、お話戻りまして。メリル・ストリープさんという人は、アメリカン・パロディ・シアターでも毎回ナンパのダシに「スシとメリル・ストリープ」を使う男が出てきたくらいだから、一般の女性には支持率絶大だろうし、男女を問わず日本での好感度も1・2を争う女優さんでしょう。エール大学を出た才媛てことでも、シガニー・ウィーバーさん、ジョディ・フォスターさんと並んで有名な方ですが、申し訳ないけどわたくし好きになれなかったのよね。正直言って今でも好きじゃないんだけど、理由はたぶん恋愛モノをメインに出演していること。ディア・ハンターみたいに恋愛物とは言い難い映画でも、常に「恋に翻弄されるどこまでもか弱さを全面に出した女」ちう役柄なのが、どうにも共感を持てない理由だと思います。

 この映画の中でも正しく恋愛が最大の関心事のような女性を演じていて、はかなげに見えるわりには、ジャック・ニコルソンさんを相手に一歩も引かない存在感です。アクが強そうに見えないのに、じつはかなりねっとりとアクが強い女性なのではあるまいか?と思わせるあたり、ちょっと苦手感が満載なのでした。前出のにわか強盗に押し込まれるシーンや、実家でジャック・ニコルソンさんの連絡を待ってソワソワしてるシーンなどでは、懸命にひょうきんな演技もしているのだが、なぜかコミカルな演技が死ぬほど似合わない人でもあるのです。どうしてなんだろう?と考えたら、たぶんカワイらしさが見えないからなんだろな。お顔とか見た目の問題ではなくてね、ちと楠田恵里子さんの冗談に通じるものがある。

 対するジャク・ニコルソンさんはとゆーと、メリル・ストリープさんがわりとハマり役でねっとり濃い演技をしているのに、かなり押さえ目な演技。存在感はあるんだけど「この人でなくてもい〜んでない?」てことでは、「男が女を愛するとき」のアンディ・ガルシアさん以上のものがございます。ただ、例によって「誰だったらい〜のよ?」ってことになると、今までこの人と共演して押されなかった人って、クリストファー・ウォーケンさんくらいしか思い付きません。

 クリント・イーストウッドさんも、ロバート・デニーロさまも、あれだけのネームバリューとアクの強さを持ちながら、メリル・ストリープさんの前では見事に討ち死にしている感があるのです。かと言ってクリストファー・ウォーケンさんとでは、最初から「見た目は円満な中流家庭」という設定には見えないし、他に討ち死にしなさそうな人といったら、デニス・ホッパーさんあたりに登場して頂かないと、とても間が持たないような気はします。これも「フツーの中流家庭」ではなく、もそっと社会的に権力を持った人、たとえば大統領とか国防大臣かなんかに見えてしまいそうなので、ジャック・ニコルソンさんでミス・キャストというワケではないのかな。

 かように、お話とは全く関係ないところで色々考えてしまう映画なので、ストーリー自体は大したことないです。ま、大したストーリーの恋愛物ってのも疲れそうだけど、部分的にニューヨークの生活はわりとよく描けている作品だと思います。2度見る気はしないけど、後年旅先での細かい情景を色々思い出した映画でもありました。


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倶楽部冗談

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