9-17-2002(Tue.)

カレーの著作権

 「こくまろ」と「とろける」のパッケージ酷似事件。こり、すでに2月の発売前から話題になってたのね。最初にニュースに登場するのは、今年の1月半ばでございました。

 そりを言ったら、「本わさびシリーズ」「ねりからしシリーズ」「おろしにんにくシリーズ」のほうが、ドそっくりでっせ。どっちが先だか知らないけど、ありゃ間違えるわ。なんならご家庭の冷蔵庫をご覧下さい。よほどメーカーにこだわって買ってる人でなければ、チューブもんシリーズは両メーカーが混在してるから。・・・と、お話を険しい方向へ持っていくのが、本日のテーマではないのです。消費者のみなさんの反応も、概ね「日本のカレーなんてどれも似てるだろー」というものでございます。代表的なご意見は、こちらにも出ているので、ご興味のある方はご参照くらさい。


 さて、その「どれも似たようなもんだろー」とみなさまに言わしめた、日本のカレー。なぜカレーは「似たようなもの」でないといかんのだ? なぜジャガイモなんだ? なぜニンジンなんだ? どーしてみなさまココに疑問を持たないのでしょう。そもそも日本古来の食品でもないくせに、なぜ凡庸さを求めなくてはいけないのでしょう。カリーライスが日本に上陸したときは、「欧州渡りの南洋のかほり」として紹介されたハズです。「魚介のカレー」「エビと帆立てのカレー」「マトンのカレー」、なんでもございます。それがなぜ「万人ウケ」という凡庸さをまとって、「国民食」などという地位に甘んじなくてはならないのでしょう。


そこでわたくしは言いたい。

「日本のカレーって誰が決めたんだ?」


 国民のみなさま、騙されてはいけません。ありが正しいカレーの姿ではないのです。「カレー風味のシチュー」とも言うべきスタイルが生まれたのは英国なのですが、あちらでは「煮込み料理」として紹介されておるのです。では煮込まないカレーがいつごろ日本で定着したかとゆーと、諸説登場してどれも有力な根拠は存在いたしません。ナイフ&フォークが定着しにくかった日本において、「スプーン1本で食べられる洋食だから」な〜んて記載もございます。だがしかし。さして調理に時間を掛けていない、即席煮込みカレーの巨大イモ、巨大肉がスプーン1本で食せるか? その証拠にお子さま方の間では、給食を始めとして「先割れスプーン」なる不届きもののでびうを許してしまうではないですか。

 なぜそこまでして、無理矢理カレーを流行らせなければいけなかったか。くだんのパッケージ酷似事件でも、「著作権」「知的所有権」とゆー本件の問題提起とは全く的外れな、分かったよーな形容詞が飛び交う記事をご覧になった方々もいらっさるかと思います。「カレーの著作権とわけったいな、カレーを作る権利のことか?」とお思いになったみなさま、そ〜なんです。そ〜やってゴーインにカレーを一本化してしまったからこそ、どこのカレーに似てるだ似てないだの事件にまで発展するのです。そして「カレーの著作権=カレーのスタイル」はたまた「カレーを作る権利」と解釈するならば、恐ろしいことに我が家には「カレーの著作権」が存在するのです。


 さよう、わたくしがココまでゴチャゴチャ言うのは、我が家のカレーに馴染めないからなのでした。わたくしポタッとしたソースの中に、さほど煮込んでいないしっかりした歯応えの肉や野菜がおるのが、あまり得意ではないのれす。同じ食すなら、東南アジア系のしゃびしゃびカレーのほうが好みなのでございます。こちらはあまり日本人ウケしないようで、「エスニック・ブーム」なんて括りで一過性のキワモノ的に取り上げられて、「流行」くらいは勝ち取れたかもしれませんが、それ以降「スタンダード」にならないのが、淋しいかぎりでございます。ありゃん。しゃびしゃびしたカブとタケノコのベトナム・カレーとか、茄子とオクラのインドネシア・カレーとか美味しいのににゃぁ。

 そんなわたくしもちびっちゃい頃は、ポタポタカレーをニコニコ食べていた時期がございます。そりも今とはちと事情が違います。わたくしがまだ幼稚園児だった頃、母親が短期入院したことがございました。なんせ4〜5歳児ですから、母親がいないとあってはベソベソしてたかもしれません。が、ところが。わたくし、泣き暮らした記憶はございません。後日父親に聞いても、グズらず良い子にしていたらしい。ええ、父親のお守りでとーてい食事には期待していなかったのに、そこには父親特性のカレーライスが燦然と輝いておりました。思えば父も働き盛りのお年頃、普段世話なんぞしていないチィチィパッパにグズられたらどーしよー・・・と内心ビビッていたに違いありません。ところがそのとき「良い子の子供放し飼い」がポロッと言ったセリフが、後年の不幸を招くとは思いもしませんでした。



「パパのカレーって、美味しいね」



 あぁ、その一言が、当時馬車ウマのように働いて年中留守がちだった父親に、どれだけ勇気を与えたことでせう・・・。以来、なぜか我が家ではカレー作りは父のお仕事になってしまったのです。んもぉ、そりわ張り切る、張り切る。お休みの日は朝から、いへ前夜から「翌日の晩ご飯」を仕込んだりしていた時期もありました。ええ、まだカレー・ルウの箱に書かれたレシピなんぞを読まずに、コトコト煮込んでいた時代は幸せでした。ところがある日突然何を思ったか、いきなりレシピどおりに作り始めたことがあったのです。人間、一度手抜きを覚えると、とことん手抜き人生に突入します。箱の裏に書かれた悪魔の囁きには、 「調理時間20分」とありました。



なんだ、あれほど気張らなくても出来るやん。



 そうです、我が父親もとうとう「学習という名の手抜き」を覚えてしまったのです。そりわとりもなおさず、2度と煮込んだカレーが食べられなくなってしまった事件でもあったのです。あのときなぜ無防備に父親を勇気付ける発言をしてしまったかと申しますと、家事に手慣れた母親の料理にはない「一生懸命さ」があったからにほかならず。このばやいの一生懸命さとわ、煮込んだ時間に比例しておったのです。そりが一転して、文字どおりインスタントな代物に変わったときは、わたくしマジで胃痛に見舞われましました。今にして思えば、トロトロに煮込んだものと同じ量、同じ勢いで食べたから消化不良を起こしただけ・・・原因はそんなとこだとは思うんですけどね。以来わたくし、朝晩関係なく作られる我が家のカレーのかほりを嗅ぎ付けると、自動的に胃袋がパスモードに入るようになってしまったのです。そんなわたくしに対するここ数年の家族の結論は、



「なんだ、カレーは嫌いなのか」でございます。



ち〜が〜う〜ぅ。



 頼むっ。カレーが恋しくなったら、一度キッチンを明け渡してくれぃ。きっとキミ達が目の玉飛び出して、ほっぺたがとろけ落ちて、ついでにそよ風が涼しく感じるよーな本気のカレーを作っちゃるから。

 って、こりがわたくしにはカレーを作らせない原因のよーな気がしないでもないですが。数年前、目の玉が飛び出るほど本気で激辛くしたタイカレーを作ったおり、「美味しい」とお義理で言った後、2度と彼等のスプーンが口に運ばれることはなかったものですから。ほほほほほ。以来何度「ジャガイモとニンジンでないカレーが食べたい」と涙目で申しても、我が家では却下されるのでございます。

え〜、いじょ。我が家の「カレーの著作権」を巡るお話でした。


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