3-30-200(Fri.)

大人になったワケね

 子どもの頃は、「忘れるなんてことあるのかなぁ」と思ってまひた。きっと照れ臭いから、「あ、忘れてた」なんて言うのだろうな、とも思ってた。子ども心に「自分から催促するのは、はしたないものね」とか、「でも覚えててくれると嬉しいにゃ」「まさか家族は忘れてないわよね」「誰か先に口火を切ってくれると良いのだが・・・」などと1日わくわく葛藤する日でもある。親もそのへんは心得ていて、朝からニコニコといい子にしているものだから、なるべく「いい子」でいる時間を長くさせようと、いちごのデコレーションケーキは「晩ご飯のあとまでおあずけ」なのね・・・な〜んて思っていたわけだ。

 親のほうは昼間は昼間でやらなきゃいけないことがあるから、「ケーキやモノで釣って夜まで大人しくさせとこ」という打算で「本日のしつけ」を決めていたわけではないけど、子どもの価値観てのはそんなもんだ。本日獲得する(と予想される)、デコレーションケーキ目指してまっしぐら。こういうときの子どもの心境は、「お年玉をめぐる攻防」でも似たような展開になるよね。朝からやけにニコニコてらてらカワイくしてて、大願成就のあかつきには「なんだか今日は誰にでも優しくなれそうだ」などと満足気にいっちょまえな感想を心に刻み、幸せ気分でほんわかと眠りにつく。誰にでも年に1回こういう気分になる日があって、よって「忘れてたなんて信じらんな〜い」というのが、「子ども放し飼いの結論」でもあったのだな。

 昨日はちと手こずる仕事で遅くなって、帰宅したのはもうすぐ日も変わろうという、0時近くでありました。今日はやけに厚ぼったいお届物が多いのだな・・・と、お茶など入れて一息ついた後、自分宛の郵便物を開封してみて大ビックリ。「お誕生日おめでとう」という文字を目にするまで、ホントに忘れてたよ。あぁ、とうとう自分の誕生日を忘れるようになったかぁ・・・と、子どもの頃は遥か彼方の未来であった、「大人の世界」にどっぷり浸っていることを実感した、大人放し飼いであった。

 とある元アイドル歌手が芸能生活何十周年のインタビューで、「昔と今とで自分の中で変わったことはありますか?」という質問に、「やけに涙もろくなったことと、自分の誕生日を忘れるようになった」と答えていたけど、ホントなんだね。昼間の緊張やら、このところの忙しさによる疲労なんぞは一瞬で吹っ飛んで、涙がぽろぽろ出たのには自分でも驚きました。もちろん「お気にかけてくださったんだなぁ」というお心遣いがとってもうれしかったんだけど、なんで泣けてくるのかは説明できないのね。親が見たら「よっぽど今日の仕事で辛い目でも見たのかしらん」とカン違いされるかな・・・心配するな、仕事ぢゃ何があっても泣かないよ・・・と言い訳するまでもなく、幸い家族は寝静まっていたので、遠慮なく泣かせていただいた。

 カートでチームメイトのももちゃんは、パンダせんせの訪中に際して「ええ〜っ、そんなぁ。バレンタインデーに日本にいないなんてカワイそすぎるぅ」と絶叫してたので、「関係ない、関係ない。気持ちがあれば、いつどこにいたって通じてるんだし」な〜んて、とても冷めた見解をしてい放し飼いでしたが、やっぱり嬉しいものは嬉しかったりする。えへへ。どうもありがとうございました。おかげさまで、険しい気持ちのまま歳をとらずに済みました。ぺこり。


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とうがらし@倶楽部冗談






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