12-28-2002(Sat.)

水より濃いもの

 子供の頃って、誰しも漠然と「自分は本当にこの親の子供なんだろうか?」と思ったことがあるのではないでしょか。そんな質問をしようものなら思うツボ。「あんたは橋の下で拾ってきたんだよ」なんて親にからかわれたものである。今だったら、もしも自分の親と思っている人が実の親でないと知ったとしても、「実の子でないのに(しかもこんなヤツを)育てられちゃうなんてエラ過ぎ」くらいの感想だと思うけど、まぁ、どう考えても「拾ってきた」なんて平気で言えるのは実の親だからこそで、なんとなく自分はその辺あまり気にしていない醒めた子供でもあった。

 うちの家系はあまり子宝に恵まれず、6親等以内の親族にホントに養子縁組した人が何人かいる。それもみんなずっと年上の人達ばかりで、気丈にも「だからなんなのよ」とカラカラ言い放つ人ばかりだったので、さほど一大事と感じてなかったこともある。わたくしの大伯母に当たる人も養女をもらっていて、連れて帰って数日はなついてくれずに泣き暮らしたことがあったそうだ。そんなときご近所にまた粋な親戚がいて、「今のうちに、泣けるだけ泣いておきなさい。実の子でも反抗するようになったら迷ったり後悔したりするんだから、あんたはその覚悟が出来てないうちに子供を授かれたんだから、泣けるうちにとことん泣いて覚悟を決めなさい」と叱咤激励したとゆー美談もある。

 そんなことをポツポツ聞かされて育ったので、血の繋がりみたいなものにちと鈍感な子供だったんでしょう。少々不謹慎な言い分ではあるけど、子供心に「なんかカッチョイイにゃぁ」なんて思ったものだ。今でも憶えているのは、周りの大人にからかわれたときに、わたくしが言い放ったその後のなぜなぜ星人を彷彿とさせる、きわめてマイペースな疑問。










なんで橋の下なの?



 これには悪乗りした大人達のほうが拍子抜けして、「それはね、橋の上だと雨風に当たるでしょ」「そうそう、車が通ったりして危ないし」と苦しいフォローをしたものだ。「もっと人が通るところのほうが見つけやすいのに」「橋の下って、台風とか来たら寒そうだ(その前に流されるって、3月末に台風が来れば、だが)」と相変わらずマイペースな感想をふにゃふにゃと言い放つ子供放し飼い。それでも心はなぜかウキウキ。






雨風当たらなくて、危なくない所に置かれていたんだ。

気を遣ってもらったのね、自分♪


 なんて空想の両親の気遣いにヘンにほんわかしていたので、周りの大人もからかい甲斐のないヤツと思ってしまったかもしれない。放し飼い@姉に言わせれば、わたくしの小さい頃が父親の子供時代にウリ似で、父方の親戚一同口を揃えて「生まれ変わりだ」とゆーので、親にからかわれたところで「なわきゃない」と余裕かましていたのではないか、ってことになっているんですけどね。

 一方、同じ環境で育っても、放し飼い@姉のほうはちと違う。放し飼い@姉とゆーのは、顔だちが誰にも似ていない。誰にもつーたって全く違う要素で構成されているわけではなく、ピンスポットで探せばわたくしと似てるところはあったりする。背丈は高校生くらいの頃から逆転してひと回り小さかったりするけど、放し飼いをもっと丸顔にして目をでっかくして鼻と口は小振りにして、髪はもうちょっと腰があって量もちびっと多くて、全体的にもそっと線が細くてスレンダーで「守ってあげたいわん♪」とゆー正しい女子タイプで、趣味は手芸やお料理・お菓子作りだったりこれまた正しい女子嗜好で、性格はわたくしの3倍勝ち気で沸騰速度もしゃべる口調も3倍速だけど、手先は器用だし絵を描かせても運動させても放し飼い@姉のが数段上だし、学業成績は常にトップクラスだったりする。なっ、似てるだろっっっ。

 わたくしかねがね父母どちらでも、見た目より頭の中身が似たかったにゃぁと思っとるのですが、放し飼い@姉は頭の中身は受け継いだのに、お父さん似ですか?お母さん似ですか?と聞かれたら、「どっちにも似てない」としか言い様がなく。ただ電話の声は気味が悪いほどわたくしとソックリな時期があって、高校生くらいのときは肉声でも親が間違えたほどであった。たとえば放し飼い@姉がお小言を言われてふくれているとき、「ちと試しに代返させてちょ♪」と持ちかけて、母親が片付け物でもしながらこっちを見てないスキに、「は〜い♪」とご機嫌うるわしく良い子のお返事をすると、コロッと騙されたりしたものであった。こりでアカの他人なワケがないのだが、本人いたって真面目に「自分はもらわれてきたのではあるまいか?」と思っていた時期があるらしい。

 性格という点ではうちの家族は堅物一家で、なんでこんなちゃらけたヤツが生まれてきたのか自分でも時々不思議に思うほど、わたくし1人家族から浮きまくり。モノに動じない性格とゆーのもわたくしだけで、一家全員(わたくしを除いて)ちゃんとフツーの人がアガる場面では緊張してみたり、人様が不安を抱くシーンでは全員フツーに心配してみたり(わたくしを除いて)、何かを始めるときには完璧にスタンバッて、完璧に仕上げないと気が済まない性分の一家だったりする(わたくしを除いて)。フツーなら一家団らん心休まる夕餉のひとときに、うちは妙に堅い話題で盛り上がったりする一家でもあるのだが、そんなときにボケ倒して力が抜けることを言うのも、決まってわたくし放し飼いなのであった。私としてはこっちのほうがよっぽど疑問なのだが、一体このふざけた遺伝子はどこから涌いてきたんだろー???



 そんな環境だったので、放し飼い@姉が人の親になったら、自分が幼少期に心を傷めた冗談は、決して子供には言わないものだと思っていた。だってカタブツだし。でもやっぱり言っちゃうのね。それも、もそっとマシな冗談は言えんのか?と力が抜けたものだが、すぐに冗談と分かるほうが子供が悩まないと思った親心なんでしょか。とにかく、甥っ子が世間並みに「自分はホントにこの家の子なのだろーか?」とゆー疑問を持ったとき、かように言い放ったらしい。









あんたは長崎屋で買ってきたんだよ



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 甥っ子とゆーのは、どっから見ても一周り小さい義兄なのだが、そこはそれ。なりはデカくなっても、所詮まだまだ子供よのぅ。えっ、そんな・・・まさか・・・でも、もしかして・・・。一瞬にして顔中に広がった不安を必死で悟られまいとしているのか、どう反応したものかきょろんとした表情で口を突いて出てきた言葉。そりわ・・・。











ボクって、いくらだったの?



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こいつには間違いなく、わたくしと同じ遺伝子が組み込まれていると確信した。


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とうがらし@倶楽部冗談






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