2-15-'99(Mon.)

正体見たり

 私の夢は総天然色で、嗅ごうと思えば匂いも嗅げる。大抵はシュールな代物だが、時には現実と区別のつかない夢もある。全くつまらない設定で、見ている間もなんら不自然さを感じない、ごくごく日常的な夢がそれである。それだけに意外な展開に遭遇すると、忘れられない恐怖にもなる。

 中でも一番コワかったのは、1週間連続で夢を見た時だった。時間にしたら、毎日2〜3秒くらいものだろうか。場面にしたら毎日1コマか2コマ。場所は自宅の洗面所で、時間は夕暮れ時。帰宅後、いつものように手と顔を洗ってうがいをしている。すると背後に人の気配がする。私は濡れた顔を拭きながら、鏡越しにその人物を見る。そこには母親が立っていて、ゆっくりこちらに近付きながら、何かを言おうとする。多分「おかえり」とか「早かったね」とか。ダイジェストで書いていると余計呑気に感じるが、ここに辿り着くまでにすでに5日くらいかかっている、大変悠長なコマ送りだ。

 私も顔を拭ったタオルを取り去りながら、振り返って「ただいま」と言おうとする。そしていよいよ最後の日の1コマが、今でも忘れられない恐怖なのだ。鏡の中の人物が、半ば開きかけた口を一瞬閉じて、次の瞬間静かに笑う。でもそれはもう母親ではない、会ったことのない人物になっている。背筋が凍り付いて、慌てて振り返ろうとするところで夢は終わる。

 この夢はよほど印象深かったのか、その後も2〜3度見たことがある。2回目以降は、1日で一気に全行程を見てしまうのだが、あの人物は相変らず同じ顔をしてそこに立っている。何度か強引に振り向こうとしてみたが、でもなぜかここで振り返ってはいけないような気がするんだな。鏡の中の人物がニヤッと笑うのも、そのことを意味している様な気もする。彼の容貌は(そう、母親が正体不明の男に擦り変わっているのだよ)上手く説明できないのだが、恐らく私が見た人間の中で、最も嫌悪感を抱く外観とでも言おうか。微笑みかけられているのに、決して良い感じではない。むしろ貧乏神に取りつかれたような骨張った顔で、辛気臭く恐怖を誘うような微笑み方なのだ。

 人が感じる恐怖とは、得たいの知れないものに対する感情なのだと思う。一般的には暗やみが怖いとか、シャンプーしている時に背中が怖いと感じるような、目に見えないものに対する不安感なのだろう。私がこの連続夢を心底コワイと思ったのは、見えないものに対してではなく、見えているからコワイのだと思う。見えないコワさなら、概念的にコワイのだと自分に言い聞かせて、恐怖を克服することは出来る。だけど鏡に映っている得体の知れない人物の姿が、振り返って肉眼で見たときには、見えないことも薄々分かっているから余計にコワイ。そこで振り返った所にただ母親が立っているだけなら、一気に退屈な日常の断片で終わってしまうのだが、そうならないところが想像の産物のコワさでもある。


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倶楽部冗談

とうがらし@倶楽部冗談






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