3-11-2003(Tue.)

屈折する星くず

 久々に自動翻訳的なタイトルを見つけて、ひっくり返りそうになりました。


「屈折する星くずの上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群」


 こりで何のことだか分かった人は、わたくし同様若気の至りで倒錯の世界へまっしぐらだったのではないでしょか。オリジナルの正式名称は「THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS」、フツーは「ジギー・スターダスト」と呼ばれているデビッド・ボウイさまの名盤です。意味は「ジギー・スターダストとザ・スパイダーズ・フロム・マース、その栄光と破滅」ってとこでしょか。「ZIGGY STURDUST」ちうのはボウイさまが作りだした架空の宇宙人で、このコンセプトアルバムの主人公です。「the SPIDERS from MARS」ちうのは、そのバック・バンド。実際のワールドツアーでも、同名のバンドを引き連れて各国を回っておりました。

 なんで大昔のアルバムの邦題に今頃気付いたかとゆーと、わたくし見たい映画があるのです。映画のタイトルは「ベルベット・ゴールドマイン」と言いまして、ボウイ・ファンのみなさまなら、とっくにご覧になっているんでしょか。わたくし、不覚にもまだ見てません。で、その映画のレビューに「タイトルはデビッド・ボウイのアルバム『ZIGGY SUTARDUST』に収められた同名の曲からとったもの」と書いてあるものが多いので、そんなバカな・・・とさらに調べてみたら、どうやらデビュー25周年だか30周年だかの記念アルバムには、ボーナストラックとして収録されてるらしい。ありゃ。ついでにかのうるわしき邦題を見つけて、大ウケしていた次第です。こ〜ゆ〜直訳的なものって70年代以前のものにはかなりありそうですが、買った当時は全然気付かなかったなぁ。



 肝心の映画のほうはと言いますと、主演のジョナサン・リース・マイヤーズさんてゆ〜んですか。まぁ、ZIGGY時代のボウイさまにドソックリだこと。動くとまた違うんでしょうけど、とりあえず見なくては。世の中にグラムをちゃんと解説してるものって殆どないので、ロック界の特殊ジャンルがどう扱われているかも興味があるです。

 わたくし幼少期から若気の至りくらいの時期にですね、「なんで恋愛が最大の関心事でなきゃいけないの?」って思っていたことがあったんです。あ、すんません、今でも多少そーだったりするんですけどね。そんな疑問にすんなりハマッたのがグラム・ロックであり、あの時代の倒錯の世界でもあったんですよ。なんせアイドルものはもちろんのこと、世の中は恋愛主題の音楽や映画が大半を占めてますから、あぁ、やっと自然体でいられる空間を見つけた。そんな気分でございました。



 でわグラマラス・ロックとはなんぞやってことになりますと、音的な特徴は何もないです。既存のロックやオールディーズとの最大の違いは、恋愛色が殆ど感じられないことでしょう。なので、一般的に言われている「グラムはゲイの美学」って解説は、ワタシ的にはとっても違和感があるのです。あの時代のホモセクシャル/バイセクシャルって、ポーズな人もかなり多いです。センセーショナルに書き立てられればられるほど、わざとそれっぽい行動をしていた人はいますけど、精神的な両性具有で悩んだグラムロッカーって、たぶんいないと思う。そもそも彼等を「ゲイだ」と言う人も恋愛中心でしかモノを考えていないわけですから、「もっと楽しいことがあるのに、どいつもこいつも」と冷笑しながら、「フリをしていた」ってとこでしょう。

 小難しく精神世界を掘り下げようとしている解説も多々見掛けますが、私がハマったグラムとゆ〜のはそんなご大層なものでもなんでもなくて、ただのナルシシズムの極地です。きっぱり。

 ゲイの方々を否定する気はないですが、その世界に陶酔する感受性には恵まれなかったものですから、たとえポーズにしろ何でそんなルックスの音楽に惹かれたかとゆ〜と、最初は物珍しさとポップな楽曲。次第にその真意が分かってきてからは、また見る目が変わったように思います。それまでのロックが男くささを強調した暴力的な反骨精神だとしたら、グラムは非暴力的な反抗とでも言いましょうか。

 彼等の「グラム以前」はモッズだった人も多く、青年になったら仕立て屋でスーツを作り、いわゆる「きちんとした服装」をさせられた時代に、わざとすんごい細いスーツを仕立ててみたり、イタリア製のブルージンズを履いてみたり。そこからストーンズやロッド・スチュワートのようなワイルドな人々と、女性的なルックスに傾倒していくグラムに分かれた経緯もあります。モッズというのはModernsの略ですから、次々に新しいものを求めては試し尽くした人々が、行き着く先は「これでもか」の倒錯の世界であったのも、不思議ではなかったです。

 彼等が嫌うものは野暮ったい暴力的なもの以外にも、「流行」   流行を追い掛けること自体が野暮ったいことではありますが   も含まれていたように思います。モッズやグラムロッカーにはアートスクールの出身者も多く、彼等の考える「流行」とは「追い掛けるもの」ではなく「生み出すもの」で、この辺がわたくしが気に入った感性でもあります。時代の先駆者なんてもてはやされて流行になったりすると、もうそのスタイルはポイと放り出してしまう。きわめて飽きっぽく、耽美的で刹那主義な人々でもありました。だからゲイが社会的に認知されてきたら、そ〜ゆ〜手法で世間に訴えかけることはパッタリ辞めてしまったりする。



 グラムが短命であったのもこの飽きっぽさゆえで、その性格は「美にこだわるお騒がせ好きな天の邪鬼」というところでしょう。よって「当世のビジュアル系とは全く違う」とゆー説明は、そのと〜りっ。どんなに化粧して着飾っても、外見だけの模倣であったり目的が「女子の気を引くため」では、グラムとは言わん。まぁモノによってはロッド・スチュワートやミック・ジャガーがアメリカ人になっちゃったりしているので、その辺はご愛嬌。

 でも、とりあえず「Roxy Music」をグラムに分類するのはやめましょう。たとえブライアン・フェリーがご自分を「世界一の伊達男」だと思っていたとしても。グラムに「失恋の魔術師」はいないのれす。グラムと言えばあ〜た、女子より「自分」が一番好きなんだから、そんな人が人前で女々しく大失恋ソングを歌うわけないでしょー。

 「男子たるモノ」という考えが世の不文律だった時代に、「あいつはゲイだ」とウワサを立てられたら、「勝手にそう思っとけば」と言い放った人々です。善良な市民のみなさまが理解不能に陥ることを面白がって、したり顔の解説が登場する頃にはクルクルと主旨を変える、皮肉屋さんでもありました。そんな困ったちゃん達のメッセージは、ストレートな詞で愛情や平和を訴えることもなく、荒々しく拳を振り上げることもなく。ひたすら刹那的に絢爛ゴーカな架空の世界を造り上げることでも、旧体然とした固定観念に反抗は出来るんだなぁ、というのが新鮮に映ったんです。カッチョイイでしょ?



 彼等とて恋愛や結婚を否定してるワケではないでしょうし、仕事に生活臭を持ち込まないだけなんだと思います。ゲイとかバイセクシャルというのがプレス用のプライバシー(という名のパフォーマンス)だとしたら、ホントのプライバシーを公開したがらない姿勢も、好感が持てたものです。グラムの全盛期とゆ〜のはいわばスターがスター然としていた、良い時代だったんですね。大袈裟な設定や浮世離れした演出が大得意で、スターが思う存分に絵空言の世界に没頭できた時代を、映画では果たしてどんな風に再現しているんでしょか。見てみたら、またレビューなんぞも書いてみたいと思います。


【ご参考までに】
グラム馬鹿一代さん
すばらしー♪ すばらしすぎるっ。
この方、ひじょーに波長が合いそうで、嬉しくなっちゃいました。建設中のコンテンツもとっても読みたいので、グラム語り尽くしはぜひ続けてくださいまし。ちなみに上級者用。

Cinema Clip:ベルベット・ゴールドマインさん

ベルベット・ゴールドマイン
グラムにハマったことのない方は、上の解説では何がなんだかサッパリだと思いますので、フツーの解説もど〜じょ。ちと気になるのは、そこかしこのレビューに出てくる「淀川長治氏でさえ絶賛した」ちうのは違うと思います。淀川さんだから、です。

この映画でカート役のユアン・マクレガーは「どう見てもイギー・ポップ」とゆ〜のが定番の解説のようですが、写真を見るかぎり「どう見てもルー・リード」とゆ〜のがわたくしの印象。どう違うの?と聞かれるとパッと見は大差ないけど、たとえポーズでも男を捨てきれなかったルー・リードと、一瞬人間を捨てかかったイギー・ポップってことでしょか<おいっ

淀川長治の新シネマトークさん
わたくし淀川さん信者ではないんですが、この解説で人から信頼される理由が分かったよーな気がします。ご自身はグラムはよく知らないと正直におっしゃってますが、これからグラムを理解してみたいと思ったら、これを読むほうが遥かに雄弁にグラムを物語っております。さすがは美男子好きの淀川さん、グラムを「男の反逆精神」と言えちゃう感性は素晴らしいです。


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