8-3-2004(Tue.)

ROCK ODYSSEY 2004

 チケットを押さえたのは3カ月も前のことで、なんだか遠い未来のようでもあり、もっと大コーフンで迎えるかと思っていた当日は案外アッサリ訪れました。



 会場へ到着したのは14:00ギリギリ。すでにお目当てのポール・ウェラーが始まろうとしているところでした。今回もサカイさんのおかげでアリーナのけっこう前のほうが取れ、それで油断していたわたくしも甘かった。アリーナへの入口は新横浜の駅から見て、ぐるっと反対側。チケットのもぎりももどかしく途中猛ダッシュするも、オープニングのイントロが始まってます。あ〜、この声。間違いなくポール・ウェラーですぅぅぅぅぅ。手荷物チェックでっか? あー、はいはい。もぉ、チケット以外は全て預けてもいいから、はよ入らせて!

 1階から入って4階まで駆け上り、再び1階まで駆け降りるとゆ〜信じられない経路にガマンしつつ、やっと辿り着いたアリーナ入口でまたもひと揉め。えっ、アリーナ席は天然芝だから、水以外は持って入れない??? 聞いてないよぅ、と揉める人数人。みんなぁ、この日を待ちに待ったんだから、茶くらい捨ておけぇ〜ぃ。・・・って、こんなことでは許ちてくれないのねん。バイトのセキュリティと思われるおねーさんからお決まりの文句を一通り聞かされるまで木戸破りはご法度のようで、前で揉めていた数人分と合わせて都合4〜5回目の「アリーナ席は天然芝になっておりまして・・・」が始まった途端に、わたくし飲みかけのペットボトルをおねーさんに押し付けて、我が席へとダッシュしてました。ほほほ。

 ごめんなたいね、お役目なのは分かっているけど、すでに3曲目の「That's Entertainment」のイントロが始まったので、わたくしの忍耐力も限界だったのよん。それにしても、ポカリスウェットが冠に着いてるイベントのクセに、お外で記念にRock Odyssey印のポカリを買ってしまった人の心境やいかに。天然芝つ〜たってアリーナの観客がピッチの上にドカドカ入るワケではなく、コンパネを隙間なくビッシリ敷き詰めた上にパイプイスを並べているのだからして、持ち込みのドリンクをポカリ印の携帯ボトルに入れ替えてあげるくらいのサービスはあっても良いのではないでしょか。




【2004年のポール・ウェラー】

 そんなドタバタで幕を開けたわたくしのROCK ODYSSEY2004は、見るものを絞り込んで他はバッサリ切り捨てたのも正解でした。暑いっ。とにかく、暑い。それでも私達の席は東側だったので到着時にはそびえるスタンドの陰になり、私より1つ西側のサカイさんの席からちょうど日陰という、この上なくナイスなポジション。照りかえしの厳しい国際競技場の中では、かなり条件の良い席でした。

 しかもすぐ横の1階席にはポール・ウェラーを「兄貴」とあがめる現役モッズ集団がいて、彼らの飛ばす野次も中々おもぴろい。世代的にはネオ・ネオ・モッズに属する彼らは、恐らくthe JAMはビデオやCDでしか体験していないと思われますが、それでもスタイル・カウンシル時代の曲よりもthe JAM時代の曲に好反応を示すのは、わたくし同様the Whoとのカップリングに血沸き肉踊り馳せ参じたからなんでしょね。MCを殆ど交えず、矢継ぎ早にアップテンポの曲を演奏するのはthe JAM時代と変わりなく。わたくしが席に着くまでにすでに2曲終わっていたのは、せっかちな「兄貴」のパフォーマンスにも起因しています。

 えー、セットリストはコーフンのため、よく憶えてません。ほほほ。the JAM解散直前に新宿の厚生年金会館で見た美青年は、予想よりも遥かにカッチョイイ歳の取り方をしていて、なんとゆ〜か、ジジくささが全く感じられないのれす。土台が良い人って、時が経ってもカッチョイイのねぇ。色白でほんのりノーブルな面持ちの、骨っぽいんだけど少年ぽさも残っている「カワイイ」「キレイ」とゆ〜イメージのthe JAM時代から比べると、少々彫りの深くなった眉間のあたりが思慮深い哲学者のようでもあり、このまま年月を重ねてもカッチョイイ英国紳士、カッチョイイ老人になりそうなのがに嬉しいです。

大騒ぎのネオ・ネオ・モッズ集団は、1曲終わる毎に







「いいぞ、兄貴〜ぃ!」







と大盛り上がってましたが、こりわ確かに「モッズの父」とゆ〜より「兄貴分」としか言い様がないですねぇ。



 そんなカッチョイイ兄貴も、暑さに弱いイギリス人。出てきたときからトマトみたいに首の裏まで真っ赤っかで、こりで最後まで持つのかぴらん・・・てのは、余計な心配でございました。後述しますthe Whoもエアロもそ〜なんですけど、一時代を築いた人々のあのテンションの高さは、一体何なんでしょ。やや乗り遅れてあっけにとられる観客をよそに、ド頭から物凄い飛ばしっぷりで、持ち時間一杯にぶっ飛ばすんですよね。スポーツ選手でも何とも言えないオーラを発揮して、並みの人間には維持できない驚異的な集中力を見せる人がいますけど、ロックのカリスマ達も同じように、出てきただけでパワーを感じさせる何かがあるのだなぁと、一流と呼ばれる人達のパフォーマンスに感心することしきり。

 わたくし新譜は会場で初めて聞きましたが、the JAMから新譜への繋がりはスタイル・カウンシルを通過していないと、生まれてこなかったものなんですね。ときおり交える短いMCで「20年ぶりの日本」とゆってましたが、そ〜いやスタイル・カウンシルでも来日してたっけね。わたくしスタカンは全く琴線に触れなかったのに、聞けば知ってる曲はあるもので、生で聞くと意外に良いものだなぁと思ったのが、22年ぶりに見たポール・ウェラーに対する感想でした。

 しかもラストに「A TOWN CALLED MALICE」を持ってくるなんて、泣けてきます。自分が何を期待されているか、よく分かっている人なんですねぇ。さすがに「IN THE CITY」はやってくれなかったけど、そこは今も新譜を出し続けている現役ロッカーだからして、過去のヒットメドレーだけではいかんですしね。

 ちょっぴりウケたのはジャム時代にはなかった剽軽さも、今年のポール・ウェラーにはありました。ギターの持ち替えでタバコをスパスパ、最初に赤ワインと次にギネスを取り出して「お先にやるけど、キミ達そこでは飲めないんだよね? ボクが飲んでも暴れないでね」な〜んてセリフは、the JAMの頃からは想像もつかないおトボケぶり。それ以外の曲間は殆ど「キュ」とか「タ」で締め括り、次のスタンバイがモタついたときだけ繋ぎでポツポツ話す以外は、無駄に喋ることはなく。やたらにオーディエンスの機嫌を取らないイギリス人らしさも健在で、この骨太さがたまりません。くぅ、カッチョイイ。

 も1つウケたのは、そんなカッチョイイ兄貴をよそに、ローディおやぢのボケっぷり。ほぼ1曲ごとにテレキャス、マーチン、エレピとくるくる楽器を持ち替える兄貴に、ステージ袖からチューニグ済みのギターを持って登場するローディのおやぢが、なんとオアシスのオフィシャルTシャツを着てたんです。オーロラ・ビジョンにローディおやぢの姿がど〜んと写ると、にわかにウケてどよめく会場。おいおい、そりわないだろぉ・・・と思ったら、すかさず先ほどのネオ・ネオ・モッズ集団から







ギャ〜ラガ〜〜〜!!







 とゆ〜野次が飛び、ドッとウケるうちらのブロック。いや、なごませてもらいました。お祭りは、こうでなくちゃっね。この人、ホントにオアシスのローディもやったのかも・・・ちうのは、確かノエル・ギャラガーが「That's Entertainment」をカバーしてたので、友好関係にはあるらしい。わたくしは、この曲のリフレイン「ら〜らららららら」になると必ず1/4音シャープてしまう兄貴の歌声のほ〜が味があって好きでしたが、辛口のポール兄貴が「見どころのあるヤツ」と称賛する人は滅多にいないので、よっぽど英国気質な音楽性が気に入ったんでしょうね。

 灼熱の会場でまさかとは思ったけど、そうしたイギリスらしさにこだわる兄貴に敬意を表して、ユニオン・ジャックのジャケットや、サイドベンツの三つボタンスーツ、モッズ・コート(英軍のアーミー・パーカーね)に身を固めた人々もおりました。あ〜、こ〜ゆ〜光景は数年ぶりに見たわねぇ。



 気になる我等が兄貴のファッションはと言いますと、シンプルなTシャツに黒のコッパンとゆ〜カジュアルな出で立ち。こりがまた、なにげにカッチョイイ。お歳を召されてアイドルちっくな騒がれ方が落ち着いた分、おされな若い男性のファッション・リーダー的存在の兄貴だからして、このTシャツもまた「どこで買える?」と血眼になって探す人もいるんでしょね。あ、Tシャツとゆってもアメカジ的なダボダボTシャツでわありまへん。身体にピッタリです、ええ、ピチピチ。よって下腹が出ていたり、二の腕あたりが弛んでいると、おそろしく見苦しいです、はい。だからモッズは太ったら終わりです。あんまり太りそうな人もいないんだけど、そりわまたモッズのお話で後述します。 ←またかい

 こりわポール兄貴が引き連れてくるツアー・メンバーもみんな同じで、多少恰幅の良い人が混ざっていても、ダボダボTシャツの人はいないんですね。大抵の人はベルトつきジーンズで、Tシャツの裾はもちろんジーンズの中に入れちゃう。こ〜ゆ〜ところにも「イギリスらしさ」にこだわり続ける片鱗が窺えます。いや、いいわぁ。こりフレディ・マーキュリー追悼コンサートのときも感じましたが、なんでか分からないけど、イギリス人てシャツをジーンズの中に入れちゃうのよね。だからキース・リチャーズみたいにシャツをだらんと出しているだけで、十分不良っぽくてカッチョイイ人の代名詞になってしまったりするわけですが、飛び上がってガッツポーズしたり、歯を見せて笑うことなど生涯ありえないような押さえた物腰が、大統領ですらガッツポーズしちゃうアメリカもんに日々馴らされた目には、やけにストイックでカッチョ良く見えるのれすよ。

 生温かいギネスをあおって、くわえタバコでギターをかき鳴らす兄貴は、5万人の会場とゆ〜より下町のパブのノリでしたが、ややお疲れ気味の日向席の反応の鈍さを気にすることもなく、あっと言う間に駆け抜けた1時間。ジャム時代から愛用しているであろうテレキャスも登場して感慨ひとしおでしたが、全体的にアコースティックな澄んだ音色が心地好く、来日公演とか数万人のフェスティバルとゆ〜よりは、敢えて「ギグ」という言葉を使いたくなる中々良質な大人のステージでした。余談ですが、ポール兄貴はわたくしより「ちょっと上」かと思っていたら、「だいぶ上」でした。ありゃ、お若い。ぜひぜひ、このままとんがったおやぢでいてくらさい。




【中休み】

 ポール兄貴の後にはB'zの稲葉氏が控えていて、ツアー・メンバーが登場するや場内は黄色い歓声が飛び交います。このキャスティングがよ〜分からんとは思うけど、14:00からの参加でも全部見たら倒れてしまう。よって稲葉タイムは、迷うことなく休憩タイム。ビールをちびちびやりながら、タコライス屋で調達したチキンをほおばり、日陰でしばしの団らんです。

 このチキンはとっても美味しかったのだけど、スタッフが全員外人で日本語は喋れないみたいなのが、ちと勿体ない。競技場外周に立ち並ぶ屋台はどこも長蛇の列なのに、ココの屋台は私の他にお客は前に外人3人組がいるだけでした。ん?こりわサッサと買えるカモ・・・と、ふと立ち止ったら第一声が「ブエナスタルデス セニョリ〜タ!」にはのけぞりました。あ〜、だからお客がいないのね。まぁ最初から買う気ではいたので、ほぼこれしか知らない「コモエスタ セニョ〜ル」で応戦したら、「お〜〜ぅ、今日初めてスペイン語でお返事してくれたニホンジ〜ン!!で、英語話す?」「ちびっとな」って、あにょ。英語も話せるなら英語でご挨拶したほ〜が、まだ日本人はビビらないと思うのれすが。英語すらロクに喋れないクセに動じないわたくしも、珍しい存在だろーとは思いますけど・・・。

 「もうすぐチキンが焼き上がるから10分くらい待てる?」と、どこまでもラテン時間なところも、日本人客の腰が引ける原因なんでしょかね。ど〜せ小1時間はヒマだし、この調子でドッカン陽気にベラベラ話し掛けてくるので、忘れかけていた旅行者英語をタダでおさらいしようというセコイ了見も手伝って、客引きのおにーさんとポツポツ会話。そんなに日本人の英語アレルギーが悲しいなら、友達のほ〜がもっと英語が上手いから連れて来ようか?とゆったら、なぜかそりわ尻込み。「友達と一緒なの?」「そうそう、だもんでお箸もう1組もらっても良いかぴらん」「そりゃもぅ、何本でも!」って、そんなに出されてもあと1膳でい〜んですけど。



 「あー、2人連れ・・・。その友達ってmustacheがあるんでしょ?」「mustacheって何だっけ?」「これこれ」と自分の口ヒゲを差すあたりは、正しいラティ〜ノの発想とでも言いましょうか。「ホントにびゅてぃほーれで〜だってば」な〜んて会話でウケてたと報告すると、今度はすかさずサカイさんのお散歩タイム。「さっき友達来たでしょ?」等々と話し掛けたら、客引きおにーさん例の調子で「びゅーてぃほーれで〜に出血大サービスゥ!」な〜んて相当舞い上がったらしく、「ビールのつまみにポテトだけ欲しいんだけど」とゆ〜サカイさんだけのスペシャル・オーダーまで通してくれたようです。がはは、さすがだっ。

 思わずそんなオーダーも言いたくなるほど、この日は暑い。マジでお席が日向だったら、しかも欲張ってド頭から見ようなんて思ったら、絶対the Whoの前にぶっ倒れてました。だって水以外は持ち込めないと言われても、その水が売り切れてるしぃ。あまりの暑さに、さして冷えていないビールは飲むそばから汗になり、汗が滴る前に乾いてしまう猛烈な照り返しと人いきれ。わたくし去年あたりからお正月以外は殆どアルコールを口にしていないのに、ほろっとでも「酔った」とゆ〜感触を味わうことなく、自ら進んでおかわりを買いに行ったほどでございます。



 ときに。稲葉さんには全くもって憾みも何もないのだが、ポール・ウェラーのときもこのくらいボーカルのミキシングに気を遣って欲しかったなぁ。4階通路からチラホラ見えるアリーナ席を見下ろしながら、わたくしそんなことを思ったものでした。相変らず何をゆってるのかよく分からないボーカルは、私にとってはふらっと入ったショップのBGMくらいでしかなかったんですが、たまに大写しになるオーロラ・ビジョンの口の動きと、実際の音声がだいぶズレているのが気になります。いくらなんでも映像ではとっくにマイクを下ろしているのに、まだ大サビの歌が聞こえているのはマズイだろー。

 これってもしかして?とゆ〜ヤな予感もしたのですが、まぁこの後本命のthe Whoとエアロがサンプリングを使うワケがないので、野外フェスにしてはかなりレベルの高いPAだったとは言えましょう。そもそもこの日のラインナップからして、かな〜り無茶な組み合わせではありました。たぶん自分も含めて、キャスト全てがことごとくバッチシ嗜好にハマッて、朝から晩まで超ハイテンションで臨んだ観客はいないと思う。タイスケを見たときは「あんでポール・ウェラーが稲葉の前座なんだよぅ(すみませんすみません)」と思ったものですが、この気温と天候ではとっても有り難い中休みでもありました。





【待望のthe Who】

 ほどよく日も傾いてきた頃に、いよいよお目当てのthe Whoの登場。オーロラ・ビジョンにメンバー登場の予告編とも言える往年のフィルムが映し出されると、場内は先ほどとはガラッと趣の異なる「うぉ〜っ!」という野太い歓声に包まれます。あー、そうそう、これこれ。カリカリのブリティッシュって、やっぱり婦女子の黄色い声より男性主体の「うぉ〜っ!」がよく似合います。

 レビューを書くならココが一番長くなるだろうと思っていたのに、いざ書こうとすると何から書いたものやら。the Whoはオンタイムで聞いていたワケではなく、the JAMやReady Steady Go!のビデオから遡ったものなんでして、旧車趣味と同様に輝かしい部分だけ拾って見たので、やけに神々しい存在となっているバンドでもあります。



 たとえば、MCと言えば今では主に曲間にメンバー自身が入れる語りのことを差しますが、その時代の公開ライブはまだちゃんと司会者(Master of Ceremony)がついたんです。Ready Steady Go!もそんな番組の1つで、BBCのスタジオライブを毎週流していた番組ですが、同時代のイギリス系著名アーティストはほぼ漏れなく出ています。番組の雰囲気は、ローティーンのお客を会場に入れたミュージック・フェアみたいな感じとでも言いましょうか。ガッチリ台本ど〜りに楚々とした流れで進む公開ライブに、当時のアーティストたちもさほど難色を示すでもなく、ロックと言えどもやたらお行儀良く進行するんです。the Whoを除いては。

 「それではみなさま、次はお待ち兼ねのthe Whoの登場です」な〜んて司会に、ギリシャ彫刻ばりの美貌がまぶしいロジャー・ダルトリーがお目当てのみなさまは、すでに超ハイトーンで大絶叫。それでもひるまず司会者はコテコテの進行を続けまして、「え〜と、まずお名前から教えてください。あなたは?」「ピートだよ」「ピートさんですか。で、出身は?」「ロンドンさ」「ロンドンはどちらの?」「イギリスのロンドンに決まってるだろ」わはははは。・・・こ〜ゆ〜お寒いやりとりがメンバー全員分繰り広げられます。

 ロジャー・ダルトリーは「出身は?」には「オズの国」と答えるし、キース・ムーンは「お名前は?」に「友達はキースと呼ぶけど、キミのばやいはジョンと呼んでくれ」と茶化すし、まともに話が出来る状態ではないので「あのぉ、オズからお越しのロジャーさん、あの壊れたドラマーはなんれすか?」なんてセリフも入ってます。これも茶化されるのを承知でわざとやっているのでしょうけど、「英国紳士たるもの」とゆ〜概念が当然の社会通念として生きていた頃なので、まだまだ社会は刺激に対する免疫がなくて、善男善女しか市民権がない時代です。たらこミックもボウイさまもロッド・スチュワートも、この頃はまだ前髪短いモッズ・ヘアーに、サイドベンツ付きの細身の3つボタン・スーツをパリッと着ていた、おぼっちゃま達でしかなく。こんなクサイ芝居でも観客はワクワクしたんでしょうね。日本も昭和の中頃の番組では、ザ・ピーナッツにしょ〜もないギャグをやらせていたりしたようなので、似たような感覚なのかもしれません。



 とにかく型破りとゆ〜ウリで出てきたバンドなので、素で壊れていたキース・ムーン以外はけっこう無理してるなぁと思う部分もありますが、MC1つとってもメンバーの徹底した茶化しにひるまなかったのは、「the Who」の命名親だけではないでしょか。彼らがthe Whoと名乗ることになったのは、「さ〜て、お次ぎは誰でしょう? もうお分かりですね、みなさんお待ち兼ねの・・・・・・誰だっけ?」と先制攻撃でボケをかました司会者がいて、これが気に入って改名したとゆ〜有名なエピソードがあります。

 公の場ではあくまでもお行儀良く、年寄りウケも比較的良かったビートルズとは対照的に、the Whoと言ったら愛想はないは受け答えは人をなめくさっているはで、年配者からは鼻つまみ。そ〜ゆ〜ところが「大人は分かってくれない」のお歳頃に熱狂的に指示されて、ある時期the Whoのメンバー自身も息苦しかったのではないでしょか。「My Generation」もスタジオライブではホントにつまらなそうだし、毎回楽器を壊すのも後年伝説になった「ライブバンドとして2度と同じ演奏はしないため」とゆ〜理由はいかにも後付けっぽくて、そうした苛立ちの象徴みたいに見えちゃいます。これもオリジナル・モッズは文献でしか知らなくて、ネオ・モッズ世代にどっぷり位置したわたくしの偏見かもしれませんが。

 そうした伝説となって残されたものばかり見てきたので、長年やっていれば1度は必ず見舞われる当時のショボイ話やコケた話は、わたくし全く知りません。the Whoの前身であった超しょぼのバンドの曲ですら「知る人ぞ知る」の神の領域に入ってしまって、当時親戚と関係者のみで買い占めた500枚しか売れなかったとゆ〜伝説のシングルですら、ありがたくおし頂いて聴くのれす。バカ売れしだしてからのシラケっぷりは、と〜ぜんのごとく「それがカッチョイイんぢゃな〜い」で片付けられ、神の伝説には一点の曇りもなく。メンバーを襲った悲劇ですら伝説に拍車を掛けこそすれ、決して神を地に落としめる扱いではなかったので、このままあくまでも「伝説上の神」であれば、わたくしも戸惑うことはなかったと思います。それが今になって、まさか生で見られるなんて。



 神格化された人をかなりの時を隔てて見るのは一種の勇気がいるもので、バンドとして絶頂期の記録がすでにそ〜ゆ〜印象で、30年以上経った今はどうなってしまうんだろ?という思いは、ロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼントがステージ上に現れたときに、不思議とス〜ッとなくなりました。

 10年前のフレディ追悼コンサートのときはまだ往年の面影があって、DVDで見るロジャー・ダルトリーは相変らず「動くギリシャ彫刻」でしたが、今回は長年見慣れたカーリー・ヘアをバッサリ切って、昔懐かしい前髪の短いモッズ・ヘアーで現れたのは、ちとビックリ。10年前より全体的にふっくらとして薄い茶系のグラサンをかけて登場した姿は、ギリシャ彫刻とゆ〜より「かとちゃん、ぺっ!」という印象ではありましたが(すみませんすみません)、透けるようなハイトーンのシャウトは健在で2度ビックリ。ひえ〜っ、この人60歳でっせ。

 いっぽうピート・タウンゼントは、見た目はすっかり分別のある老人になっておりまして、刈り上げた白髪と真っ黒なグラサンで出てきたときはレイ・チャールズの化身かと思いましたが(すみませんすみません)、とてもロジャー・ダルトリーの1つ年下とは思えない容貌も、マイナスのイメージにはなってないからまた不思議。59歳でじ〜ちゃん呼ばわりしたらちとカワイソウですけど、カッチョイイじ〜ちゃんなんですよ。こ〜ゆ〜人に「オレの若いころはな」なんて静かに言われたら、なんでも信じちゃいそうだ。もっとも、若気の至りの頃の極道ぶりは「おいた」とか「やんちゃ」なんてレベルではないので、言われなくても十分とゆ〜気はしますが。でもって、すんません。舌の根も乾かぬうちに前言撤回。







この人達は神です。きっぱり。







 あー、布袋のギターにしびれている若人に、わたくし言いたいっっっ。今では、ろけんろーの基本とも思われているこのポーズ。顔を真横に向けながらヘッドを目一杯下げて、荒々しく1弦からすくい上げるように右腕を振り回すカッティング。こりわ、この人がオリジナルなんだじょ〜〜ぉ。ギターこそストラトに持ち替えて、往年のリッケンやSGのぶん回しではなかったですが、荒々しいのにどこか冷めたように弾く感じは、記憶の中のピートそのもの。やっぱりこの人、ただのブチ切れではなかったんだぁ。そ〜ゆ〜押さえたキレ方はロジャー・ダルトリーも同様で、ほんのちょっぴり記憶と違っていたのは、当時のビデオより楽しそうな表情をときどき垣間見せるのが、また何とも言えずカッチョイイ。記憶の中の神々は1発目からすんばらし〜存在感と迫力で、若かりし頃のフィルターをかける必要なんて全くありませんでした。



 2人になってしまったthe Whoの、特にキース・ムーンの穴は誰が埋めるんだろ?とゆ〜懸念も、1曲聴いた途端にどこへやら。ドラマーだけは随分若いのを連れてきたなぁと思ったら、こりがリンゴ・スターの息子さんなのね。いや、スゴイ。キース・ムーンがthe Whoの前身に加入したいきさつもご多分に漏れず伝説となっておりますが、気違いじみた手数の多さを誇ったキースも、こりなら納得してくれるでしょう。完コピではないんだけど、楽器の才能はおやじさんよりあると思いますわ。ないす人選。え〜モン見せてもらいました。

 破天荒なthe Whoにあって1人だけ寡黙なベースマン・・・とゆ〜のは表向きの顔だったりするんですけど、ウッドベースを思わせる重厚な音色と確かなテクニックで楽曲を支えた、ジョン・エントウィッスルの代わりは誰が?とゆ〜のは、ピート・タウンゼントからアナウンスがありまして、こりが実の弟さんだそう。こちらは魔窟から生還したワケでも、人間辞めかかったワケでもなさそな正しいセッションマンて感じの好青年でしたが、風貌も物腰も丸で似てないことをピートもよほど気にしていたらしい。ヘンな義兄弟ではなく「My brother, Real brother」と何度も強調し、「サイモン・タウンゼント!」と紹介されたときも、わたくしまだ「ホント?」と言い放っておりました。だはは。神にも兄弟なんていたんですね。

 ジョン・エントウィッスルのベースも生で聴いてみたかったけど、全く違和感なくthe Whoの音として聴けたのは、こちらも天晴れ。こ〜ゆ〜弟さんがいたから、ピート・タウンゼントも魔窟から脱却できたのかもしれません。



 え〜、セットリストは、ポール・ウェラーのときよりさらに憶えてません。ほほほ。曲順なんてい〜のれす。あ〜〜〜、「Ready Steady Go!」が、「the Kids are Alright」が、「Quadrophenia」が、頭の中を駆け巡るぅぅぅぅぅぅ。なんせ結成以来40年目の「初来日」ですし、新譜は作ってないしで、曲は全部知っているのも有り難い。ピート・タウンゼントは自分達が極東の僻地でこんなに知られているとは驚きだったようで、「エアロスミスと共演できて嬉しいよ、サンキュー、エアロ」と控えめに入ったMCもじわじわ熱くなってきて、「日本のオーディエンスはサイコーだな、おい!」と次第にノリノリ。

 「Quadropheniaは思い入れのあるアルバムで、俺もQuadrophenia(四重人格)だからかな・・・知ってるかなこの曲」と、ちょっと照れ笑いしゃちゃうところなんかも、初来日らしい初々しさがあってなんだかカワイイ。「知ってる♪知ってるぅ♪」わーわーきゃーきゃー! あり??? あんでみんな騒がないの? ほれほれ、ネオ・ネオ・モッズのみなさま、出番ですよぉ。わたくしが騒ぎすぎ? なんなら出番は17:00と言わずに「5:15」まで押しても良くってよ。こり、映画のほ〜の「Quadrophenia(さらば青春の光)」ではフルコーラスではなくて、途中でフェイドアウトしちゃうんだけど、この曲を聴くとオープニングの「Can you see the Real Me,mama,mama〜」がグルグルするわたくしも、頭の中はQuadrophenia。

 大トリでもないのにアンコール有りなのは、さすがは神でございます。こりでアンコールを却下されたら、お客も暴れるでしょう。1曲目は「ピンボールの魔術師」で、こりわ人によって思い浮かべた情景が違うでしょうね。アルバムからキッチリ入った人はトミーだろうし、わたくしにとってはドーバー海峡のホワイトクリフなんですわ。スティング演じるエースのスクーターを断崖から落とすシーンは、じつはエンジンが載ってないガラだけのもので本体も替え玉なんだけど、空撮シーンでリハのときの轍(わだち)が丸見えだったりするけど、い〜んですっっっ。

 あのですね、わたくし初めて「さらば青春の光」を見たときは、全く感動しなかったんですよ。主人公と同化してしまう感性も持ち合わせていなかったし、クサすぎる邦題にかなり抵抗もありました。そりが通算30回以上も見てしまった経緯は、ひとえにスクーター研究のためと楽曲のカッチョ良さからなんですが、さすがにこりだけ数を見ていると、映画にちろっとでも出てきた曲は全てスクリーンのシーンと連動してフラッシュバックしちゃうんです。いや、まいった。ビデオもと〜ぜん持ってますが(ベータだけど)、the Whoの来日に合わせてDVDが限定再生産までされてしまったようで、買おうかどうしようか迷った自分が恐ろしい。楽曲とロケ地の秀逸さは素晴らしいんですけど、もしもDVDで買い直すなら「the kid's are Alright」のほ〜でしょね。えっ、そりも奇跡のDVD化しちゃったの? きゃー、やめてぇ。破産するぅぅぅ。



 the Whoの映画3部作のうち、お話としての出来はどれも似たようなモンですが、どれだけ狂ったバンドだったかを知るには「the kid's are Alright」が一番です。パッと見も行動も変人そのもののキース・ムーンはもちろん、各自がバンド内でど〜ゆ〜役割だったかもよく分かります。the Whoで最後まで生き残るのはジョン・エントウィッスルだと勝手に思っていたものですから、訃報を見付けたときは衝撃だったんですけれども、あの気狂い集団にいて彼だけ真人間であるハズもなく。

 内容はライブ・ドキュメンタリーと称する実録の継ぎ合わせにつき、ネタバラも書いてしまいますけど、彼らの反骨精神はあらゆる権威に向けられていて、若気の至り世代に絶大な人気を誇る理由も随所にちりばめられておるんです。郊外の豪邸の庭で、プラチナ・ディスクをクレー代わりにライフルでバンバン割っていくシーンがあったかと思いますが、あり本物です。撮影された場所はジョン・エントウィッスル邸で、壁にずらりと掛けられたギター・コレクションも、出来損ないの陶器のように無造作に割られてしまうプラチナ・ディスクも、全部本物なんですよ。ね、狂ってますでしょ?

 式典もインタビューもすっぽかして、挙げ句の果てに自宅へ送り付けてきたプラチナ・ディスクを裏庭でクレー代わりに撃ってしまうなんて、正気の沙汰ではないでしょう・・・てことで、ココでも彼らは神格化。でもわたくしはどちらかとゆ〜と、「長髪は反戦のシンボルだぁとか言いながら、大英帝国勲章をうやうやしく頂戴するのはいかがなものか?」と言われて慌ててもらった勲章を返上する人がいたり、それでも長年切望する大物ロッカー(と呼ばれているけどポップスターだと思う)がいたりと、己の進退を賭けて右往左往の英国ロックシーンにあって、丸で無頓着だったキース・ムーンの天然ぶりにけっこう惹かれたんですよ。

 若者の反抗なんてホントのところ特に目的も理由もなくて、有り余るエネルギーの使い道を持て余しているだけでは?な〜んて当時から冷めた目で見ていたわたくしには楽曲の好き嫌いとはまた別に、小難しいことをゆってないといかん的な思想は、ちと苦手なジャンルでもあったんです。音楽なんて音を楽しむものなんだから、い〜ぢゃん、楽しけりゃ。辛い現実を詞に乗せて歌われちゃっても、わたくし困ってしまいます。ま、そんなヤツだったので、気骨モノには惹かれるけれど、どこかにショックアブソーバーが欲しいのですよ。たとえばグラムロッカーなんてのもそ〜ゆ〜存在で、どこか「バッカでぃ」で許されてしまうところがありますでしょ。「あにゆってるだか」だから、おもぴろい。

 ロジャー・ダルトリーのインタビューシーンにもそんな様子が出てきて、クソ真面目に持論の語りに入ろうとしているロジャーの所へ、キース・ムーンがとんでもないアプローチでやって来て、あまりのバカバカしさに真面目に語る気が失せてしまうという場面がありました。あーthe Whoはこの愛すべき狂人がいたからこそ、ロジャー・ダルトリーはロバート・プラントへの道を登り詰めずに済んだし、ピート・タウンゼントはピーター・フランプトンにはならなかったのねぇ・・・と思ったものです。それゆえ、キース・ムーンの死はバンドにとってかなりこたえたそうですが、the Whoはジョンとキースなしでも立派にthe Whoだったのが、今回のライブで一番嬉しく感じました。終盤はマイクぶん回しパフォーマンスと、ピートのギター壊しまでやってくれて、とっても満足。



 一時期ピート・タウンゼントは、過去の曲を一切排除したがっていたこともありましたけど、自分のやってきたことを否定するとゆ〜よりも、何に対して反抗しなくてはならないのか分からなくなってしまった、とゆったほ〜が近いように思います。世界のビッグネーム入りをしてからは、矛先を「世界平和」や「戦争批判」へ向ける人も多い中、安易に「一般悪」とゆ〜名の社会批判へ走らず、なおかつ反骨精神を保ち続けるのは、カンタンなことではないでしょう。それでもやっぱりピートはピート、ロジャーはロジャーなんですね。売れたからといって突然偽善クサクなるワケでもなく、かといって無理に怒り続けて自分を見失うワケでもなく。いい歳の取り方をしたなぁ、とゆ〜のが「the Who初来日」の感想でしたん。




【お初のエアロスミス】

 お初とゆ〜のはもちろんわたくしにとってのとゆ〜意味で、ROCK ODYSSEYの前にも東京ドームで単独公演をやってるし、来日もと〜ぜん初めてじゃありません。チケットを押さえた頃は手持ちのCDをエンドレスでかけたりして、往年の大ヒットメドレーを楽しんだものですが、ここ1カ月はあえて予習・復習はしていないのでした。なんとなく、お初のエアロは固定観念抜きで見てみたかったので、ドーム公演の資料も全く漁らず。KING of Rock'n'Rollと謡われたライブバンドは、果たしてどんなステージを見せてくれるのやら。

 周囲では「the Whoに食われてしまうのでは?」とゆ〜意見も飛び交い、思いのほかロジャー&ピートを見に来た人の多さに感激しましたけれども、そこはそれ。何度か活動停止をしたとはいえ、この時代を生き残った現役ロッカー達なのだからして、出てきた途端に飛ばす飛ばす。一説によりますと、the Whoのパワフルなステージに刺激されてド頭から飛ばしまくったとのことで、こりが単独公演にはないフェスティバルならではの嬉しいお土産なんですね。

 出番が決まったとき、スティーブン・タイラーは「本来ならthe Whoがトリになるべきだ」とのたまっておりましたが、MCでも「the Whoと共演できるなんて光栄だ」と偉大な先人達に最敬礼。オープニングに「Back in the Saddle」を持ってきたのも大正解で、この日のオーディエンスは70年代ヒットナンバーから入ったほ〜が、新譜よりウケることは間違いナシ。ドーム公演のセットリストは調べてないけど、オープニングは変えてきたのではないでしょか。

 化け物改め、魔界から生還したスティーブン・タイラーは、超高音であんぎゃーーー!とおたけぶ野獣シャウトも健在で、お歳を召してもまだまだ容色衰えず。左の二の腕にマジックで「猛暑」と大書きして登場し、お笑いのつかみもバッチリ。えっ、エアロってそ〜ゆ〜ノリだったの? ふむ。しかもオープニングの「Back in the Saddle」が終わるや、







ヨ〜コハ〜マ〜〜〜〜〜〜〜!
ア・ツ・イ〜〜〜〜ッ!!

の絶叫で再び??? あにょ・・・、壮絶に滑っとるんですが。






 あのですね、日本人が外タレを有り難がって押し頂くのは、エーゴを喋るからですよ、エーゴ。六本木の出稼ぎ外人もエーゴだからいいんで、お水のおねーさんが「シャッチョウ、シャッチョウ」なんて道端で媚びてるのなんて、興醒め以外のナニモノでもないですよ、ええ。そーゆーのは新大久保か東池袋の路地裏で卑屈にやるもんで、銀座や六本木ではやっちゃダメなんですよ。って、誰か教えたれよぉ。せめて「It's too Hot!」くらいにしといて頂きたい。もうね、日本も戦後じゃないから、そのくらいなら通じるわけですよ、うん。



 しっかし、わたくしthe Whoは贔屓目全開につき、ちゃんと評価できる自信がなかったんですが、パワーこそ20代の頃には及ばないものの、まだまだロック・スピリット健在な神を見た後だと、エアロスミスですら子供に見えてしまうから恐ろしい。すっかりたらこミックとの分化が完了したスティーブン・タイラーと、ますますキース・リチャーズ化が進んだジョー・ペリとのこの差は一体にゃんだろー。ジョー・ペリーって人は、お好きな人にはとってもとっても申し訳ないんだけど、私の中ではアルフィーの高見沢さんや野口五郎さんと並んで、死ぬほど汚れが似合わない人だったりするんです。う〜む、この例えでなんで謝まらなきゃいかんのだろ・・・ってのを追及していくと色々差し障りがあるので、以下割愛。い〜ぢゃん、野口五郎さんもギター激上手いし。 ←そ〜ゆ〜問題か?

 なんかね、どうもジョー・ペリーってまだ人間の領域なんですよね。長いこと「悪魔うひゃうひゃ、魂市場は大繁盛!」みたいな世界で生きてきたわりには。たとえばキース・リチャーズやジョニー・サンダースだと、あんであ〜た達はせっかくの親からもらった美貌を悪魔に売り渡すかね?とゆ〜天晴れ外道人生まっしぐらだったりするのに対して、ジョー・ペリーってどんなにハスっぱなことをしてもどこか理性的に見えてしまう。トクと言えばトクだし、ホントにゲドウなことをしたら、ことさら大袈裟に「ええ〜〜〜っ」と世間の非難を一身に浴びてしまいそうなキャラクターなんですよね。

 もちろん生で演奏する姿を見たらドライブ感満点で、そりゃカッチョイイんですけどね。まだ人間の領域を踏み外していないとゆ〜点では、RCサクセションの仲井戸麗市さんにも似てたりする。余計なお世話だけど、愛妻家なんだろなぁとか。とゆってもジョー・ペリーが子供のおむつを替えてたり、スーパーにお総菜を買いに行く姿が目に浮かぶワケではないんですけどね。もしもスティーブン・タイラーがそんな姿をパパラッチされちゃったら、「ありゃ、意外といい人なのね(はぁと)」なんて思われそうなのに、ジョー・ペリーだったら「絶対見たくない!!!!!」と思ってしまうのも、キャラの違いなんでしょかね。



 と、勝手なことゆっとりますけど、スティーブンはど〜〜〜しても「ジョーFackin' ペリー」と紹介したいらしく、ソロの前後に2度ほどそうゆっておりました。かくいうスティーブンFackin' タイラーは、生で見た印象がこれまでの自分のイメージと全く違っていたのは、ちとビックリ。わたくしかつては、あの化け物からリブ・タイラーが誕生するのは大ナゾだと言い放っておりましたが、ありわ間違いなくリブ・タイラーのパパですね。わたくし、今なら信じられますわ。あ、誤解のないよ〜に申し添えますと、リブが化け物ってことではないですからね。 ←分かってるって

 なんと言いましょうか、すっかり悪魔払いが完了して脂ギッシュさが溶け落ちたスティーブン・タイラーって、50過ぎのおっさんにしては驚異的な童顔なのね。リブ・タイラーって絶対くちびる以外は母親似だと思っていたのに、あの顔にハリウッド・メイクをしたら30年後のリブ・タイラーになりそうなのが、にわかに信じがたい発見でした。



 え〜、ライブの本題とはかけ離れたことばかり書いてますが、彼らは音に関してはかなり真面目な人達だと思いましたです。こまめに持ち替えるギターは過剰なエフェクターもかけず、ことさら大袈裟なアクションで弾くわけでもなく。これぞジョー・ペリー!とゆ〜よりは、楽器本来の音色を大事にしているとでもゆ〜んでしょか。わたくし専門的な言い方は知りませんが、アンプを使うギターでも生音が良くないと、どんなにエフェクターをかけても良い音にはならないんですよね。そりがジョー・ペリーさんのばやい、生音で良い音色のギターにかなりこだわりがあるのだろ〜なという印象でした。ブライアン・メイとはまたちょっと違ったこだわりではありますけど、こりがストレートなロックンロールとかKing of Rock'n'Rollと謡われて、世のギター小僧を魅了している一因なんでしょね。

 今回のセットリストは前回のワールド・ツアーに先立って全米ツアーで収録した「Little South of Sanity」と「Greatest Hits 1973-1988」でほぼカバー出来まして、以前に自分でそう書いたクセに「ありゃ、ホントに当たったわ」って感じでした(おい)。the Whoからのセット替えで、バスドラにカタカナで「ホンキン」の文字を見たときはプッと笑い、あ〜こりがアメリカ人のノリだわねぇと思ったものの、新譜ばかりやられたらちと予習が足りないわたくしは、ついていけない。だがしかし、キャリアの長いバンドはヒット曲を網羅するとそれだけでセットリストになってしまうもので、聞いて分からなかったのはジョー・ペリーがソロを取る曲だけでした。ほぉ、こりがウワサの新譜なのれすね。

 全体の感想は月並みすぎて申し訳ないですけれども、「あ、こりゃスゴイ」につきますね。たぶん往年のパワーを生で体験されている方には少々物足りないでしょうけど、出てきたときから「スタジオの演奏をそっくり再現できる」とゆ〜ウリは伊達じゃないと、ひとしきり感心しましたです。と同時に、わたくしがどうしてもビートルズに惹かれない理由と、彼らが短命に終わった理由も分かったような気がしました。コケそうでコケないグラムのペテン師ボウイさまが未だに神でいられるのも、きっと紆余曲折しながらもライブを中心にやってきたからなんでしょね。







でっ。

「ママキン」てなんれすか?


と、いきなりド素人級の質問をしてみたりする。そ〜ゆ〜曲もありますし、前述のライブ・アルバムでも盛んに口走っておるのはもちろん知ってますが、この日のMCでも「ママキン、ママキン、ママキン・・・」と早口に繰り返されて、往年の疑問が再び蘇ってしまいました。意味を知ってる方、どうか解説ぷり〜ず。



 アンコールは2曲で、これまた良い選曲でした。「Livin' on the Edge」は晩年のナンバーだけあって、野獣シャウトもないし爽やかなミドルテンポの曲ではありますが、初めて聴いたとき絶妙なお題だなぁと感心した曲なのですよ。

 人間なんて誰しも、自分のキャパの中でのギリギリを生きていたりするもんで、本当に助けが必要なのは悲愴感を漂わせながら生きている人ではなくて、辛さをおクビにも出さずに自力で頑張ろうとする人だと思うんですわ。肩肘はって背伸びして、辛さを悲観しながら生きるのはカンタンだけど、心を平静に保って等身大の自分として穏やかに暮らすほ〜が、遥かに精神力が必要で難しいものね。等身大の自分が分かっていれば、人と比べて羨んだり悲しんだりする必要もないし、いつも誰かの助けを求めていれば辛さや恨み言もそれだけ増えてしまう。

 そりを説教クサクもなく悲痛さをにじませるでもなく、サラッと言えるのはスゴイなぁと思うです。こ〜ゆ〜貫禄って、50代だからこそよねぇ。なんで「Livin' on the Edge」なのに、こんなに爽やかなメロディなんだろ?と感じた印象が、繰り返し聴くうちに「ははぁ」と思い、そんな解釈をしてみましたです。

 さてさて、すっかり重たいトーンになってしまいました。余談ですが、わたくし「Livin' on the Edge」のTシャツを持っていたのを、つい最近気が付きました。エアロ柄ではなくジョークTシャツなんですけど、表がウォール街の道標(セサミストリートのロゴみたいなやつ)で、裏が「Livin' on the Edge」の文字と窓枠から落ちまいとしがみつくクマさん。これをもらったのは97年のベルギーGPの日で、N.Y. 在住の友達とフランクフルトの友達を訪ねてドイツへ行ったときのことでした。エアーチケットの関係で偶然ベルギーGPとかち合ったので、わたくし到着直後にスパへ行く気で列車の時刻や近郊のお宿まで調べ上げたのに、フランクフルトの友達がその週末が誕生日だったため、1人バックレるわけにもいかず。

 この先お世話になる家主へのお誕生日プレゼントと、久々に再会する友達へのプレゼントを手に手に交換したとき、私が土壇場でベルギーGPを諦めたことを知っていたN.Y. の友達がくれたのが、上記のジョークTシャツなのでした。当時はニューヨーク市場の株価が大暴落していたので、この頃大ヒットしていた曲に引っ掛けて「落ちてたまるか」とゆ〜ウィットだったんですけれども、それくらい社会にも浸透していた曲だったんだなぁと、今頃になって気が付きました。この曲はウェッティな人生論的解釈も多いようですが、わたくしとしては魔界から生還した元野獣の悟りのように思えて、人間界の際までは戻ってきて良かったねとゆ〜印象なもんで、案外このTシャツのよ〜に「フッ」と笑って良いものかもしれないと思うんですよ。



 大ラスの「Train Kept A Rollin'」はエアロ目当てで来た人でなくても、この会場で知らない人はいないでしょう。こり、オリジナルはヤードバースなのね。わたくし長いことラモーンズだとカン違いしてました。この曲はホントに何度聞いてもカッチョイイ。こんなカッチョイイ曲を聞かずに、アンコールの途中でアリーナ前列からゾロゾロ退場してしまう人々が当初は理解できなかったんですが、もしやキミたち、明日の大阪会場へ駆け付けるためにブッチしてる? たしか新横浜停車・新大阪行の新幹線は21:30前後が最終のハズ・・・と気付いてからは、一気に尊敬のまなざしに変わりました。すげ〜っ、気合いが違うぅぅぅ。

 後日仕入れた情報によりますと、エアロスミスはこのフェスティバルを最後に再び活動停止に入るそうで、ならば気合いのみなさまの民族大移動も大納得。スティーブン、あんたは幸せモンだぁ。



 1つゼータクな心残りは、横浜会場では2日目の大トリとなる世界の矢沢を見逃したことでしょか。いへ、立ちこめるグルースのかほりと飛び交うE.YAZAWAタオルにまみれたいなんて、そんな大それた野望ではなく、毎年九段下を埋め尽くす1万人のE.YAZAWAが地元で見られたカモ・・・って程度のお話なんですけどね。仮に永ちゃんが同じ日の公演だったとしても、騒ぐ元気が残っていたかどうかは甚だ疑問ではありますが。有明のビートUKのときは2日間ともけっこう朝から晩まで制覇したのに、思い入れのあるアーティストを1日で3つも見てしまうと、すでにお腹いっぱい。特にthe Whoを生で見られた感激は、質の良いお客とも相まって言葉では現しきれません。こりわスティーブンの言うように、the Whoが大トリでも良かったんじゃないかなぁ。

 フェスティバルって数を集める特性上、どうしても指向の違うアーティストも混ざって中ダレがあったりするものですが、ポール・ウェラーとthe Whoをカップリングしたセンスだけは100点花丸。エライぞ、ウドー。ご贔屓のアーティストの単独公演を見たかった人には、解せないラインナップで消化不良だったかもですけど、こんな機会でもなければthe Whoが来日することなんて考えられなかったんですから、ここは素直にお手柄を誉めたたえておきましょう。次回はぜひ、ビール解禁のアリーナをお願いします。


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とうがらし@倶楽部冗談






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