9-20-2001(Thu.)

52nd. state

 こりわまるで、「ランボー怒りのアフガン」だなぁ・・と誰か言い出すかと思ったら、webではとっくに話題になっていたらしい。テレビ放映で見ただけだから記憶が大分薄れていたけど、この映画が製作されたのって88年なのね。ほぉ、大納得。

 わたくし、89年の年明けにはインドにおりました。小渕さんが「平成」ってお習字を掲げたときは日本で見てたけど、大葬の礼は帰りに立ち寄ったバンコクで見た記憶がある。そんなご時世の頃でした。カルカッタからデリーを経由して北の方のパンジャーブとか、余裕があったらカシミールへも足を伸ばしてみたいなぁと、デリーへ到着したときは漠然と考えた。ところが翌朝部屋に運ばれてきた新聞で、パンジャーブへは行かれないことが薄らぼんやり分かったのでした。

 テレビをつけるとニュースではさっそくそのお話をやっていて、デリーから北は厳戒態勢に入り、夜間外出禁止令が出されたとのこと。外国人の移動には、特に厳しくなったらしい。まぁ急ぐ旅でもないし、元々インドで夜遊びしたり、アバンチュールを楽しもうというほど命知らずでもないので、北の地方への旅行は諦めるか。そんな印象でありました。変わりにアジャンタとエローラにでも行くかなぁと。今にして思えば当初はバーミヤンの遺跡や、カシミール地方の寺院なんかを見る気でいたのです。なので余計バーミヤンの所在地がごっちゃになっていたとゆーこともある・・・たぶん。

 さて、その北の地方へ行かれなくなった理由というのは、忘れもしないソ連軍のアフガニスタン進攻でありました。パキスタン全土は臨戦態勢、隣接するインドでも北部の国境地帯は閉鎖。出国すると2度とパキスタン経由では戻れなくなる。だから行くのはおよしなさい・・・そんな説明を観光局で聞いた覚えがある。はて、旧ソビエトのアフガニスタン進攻とえいば、対抗勢力にゲリラ戦の特殊部隊を派遣して、ムスリムのみなさまにゲリラ教育を施したり、積極的に武力支援をした国があったよなぁ。確かアラブ諸国はパイプラインを引くことに非協力的だから、景気の悪い自動車産業界と燃費の悪い車を大量に抱えて、あの手この手でパキスタン側からパイプを引く努力をしてたんだよね。

 お目当ての地域には戒厳令が出ていたのに、いきなり「ソ連撤退」というニュースに変わったのは、わずか1週間か10日後くらいだったと思います。すでにボンベイへ移動してしまって、バンコクへでも戻ろうか?なんて相談していた頃でした。なんだよ、もう少し滞在していれば、北の地方へ行かれたかもしれないのに。な〜んて思った記憶があります。もっともそんなドタバタの後で、呑気に遺跡見物できるハズもないですけどね。それまで前線が何度も行ったり来たりしていたのに、いきなり撤退しちゃったのは、なんとしてもソ連の南下を阻止して、先にパイプラインをもぎ取ろうと躍起になってたどっかの国が、業を煮やして強制介入しからなんだよなぁ。

 帰国してからも毎日バクーの油田がどうこうとか、どっちからパイプラインを引くだとか、ニュースで盛んに解説しておったものです。結果的にソ連が崩壊するきっかけになったこのお話は、確か1989年の2月だったハズ。ソ連は20年近い消耗戦で自国南部の穀倉地帯も踏み荒らしちゃったから、エカテリーナ2世時代にぶんどった黒海沿岸地方は一斉に反抗的になって、モスクワへキャベツや麦を送るのや〜めた、なんてやってましたよね。冷戦が終結しただの、強制介入した国が勝手に「もはや唯一にして無二の大国」などと宣言していた時期でもありました。



 「はしゃぐ気がしない」って、上手い表現だと思う。悲しくないのに悲痛な表情をしたり、大袈裟な弔意を示して見せる必要はないです。報復に反対しているのはね、急に正義漢ぶってみたくなったり、突然ナイーブになったのでわないのだよ。ソ連が崩壊したらいきなり掌を返したかつてのスポンサーと、助力を頼んだら国は焦土に変えられてしまったけど、戦後処理も面倒を見てくれるとカン違いしていたクライアントの、石油の利権を巡るただの内輪揉めだから、アホらしくて動じる気にもならんのでした。ありわ「聖戦」でわなくて、「内戦」とか「仲間割れ」ってゆーんだよ。

 だいいちプロテスタントの国に「十字軍」て言われたかないと思うじょ。プロテスタントって「反抗する者」とゆー意味だそうで、ローマ教皇と袂を分かっちゃった人々の集まりでわないか。んでわ「十字軍」て何よ?ってお話になると、ありわ11世紀にセルジューク・トルコに押されていた東ローマ帝国が、教皇に泣きついてヨーロッパの騎士団を結成してもらって、エルサレムを「奪回」しに行っちゃうお話だったかと。プロテスタントの成立は中世の宗教改革が発端で、16世紀に入って「教皇は絶対」とするカソリックから分離して、聖書を唯一の教えとして「聖職者も人間だものね」と言い放った新教だったハズ。ゆえに絶対君主的な教皇を否定して、人類みな兄弟みたいな定義で始まったんだよね、確か。

 そもそもアメリカ大統領ってJ.F.K.以外は全員プロテスタントなんだから、教皇の名のもとに数々の蛮行をやらかしちゃう団体名(おい)を持ち出すのは、筋違いでしょう。たとえば日本の首相が孔子の教えを振りかざして、「儒教の教えに対する冒涜だぁ」と叫びながら山東省を「奪回」しに行っちゃったら、ものすご〜くヘンだものね。それくらいヘンてこと。やっぱイス縛りつけこちょぐり倒しの刑か、黒板ひっかきの刑あたりが相応しいかと。あで? あれってスペインの宗教裁判ネタだっけか。ま、わたくしの知識なんてそんなもんです、ええ。

 小難しい宗教のお話に触れなくても、カンタンに言ってしまうと「アフガニスタンのテロリストを養成して、特殊部隊まで派遣してイスラム勢力を応援したのは誰だっけ?」ってことなのでした。

 アメリカの敵か味方か、軍事支援するべきか否か、報復は正義の刃かただの意地なのか、アメリカに同調して協力するならどうあるべきか・・・なんて、考えるまでもなく。いつも後手後手で安全なとこから資金だけ出しているから、非難されちゃうんぢゃないかぁ・・・って問題でもないのだよ。飼い犬に手を噛まれたらどうするかは、今現在いっぱい見せてもらっているものね。「吠えついたらこうなるぞ」って目の前で見せられたら、「ヤだ」とか「およしなさい」って言えないだけなんだよ。

 このところ「52nd. state」に生まれ育った庶民は、自分の国は「Nation」でも「Country」でもなく、「Slave state」なんだなぁとしみじみ思ったのでありました。もっとも元首にも権限が無いところが、南北戦争当時の「Slave state」とは全く立場が違うので、よけいに哀愁ではありますが。宗主国が戦争するったらするんだものねと言い張りだしたら、選択の余地などナシ。大ガックシ。でもね・・・。

 ミスター・プレジデント、あなたも歴史は苦手でしたか。ええ、わたくしもとっても苦手でした。ほほほ。あなたのお国も侵略に関しては色々大変でしたものね。お気持ちとってもよく分かります。ご出身は確かテキサスとか。で、「ナバホ」ですか?「ズーニー」ですか?

・・・くらいはカマしても良いと思う。


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とうがらし@倶楽部冗談






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