4-6-2003(Sun.)

KISS公演 2003

 わはははははは。丸2年越しで、再び地獄の軍団に会ってまいりました。武道館でライブを観たのって、いつ以来だろう。もしかしたら、デビッド・ボウイさまの「シリアス・ムーンライト・ツアー」以来かもしれない。JAPANの「BUMBOO MUSIC」とどっちが後だったかな。とにかくそのくらい長いこと潜ってなかった田安門を通り抜け、「外タレと言えばブドーカン」の時代へさかのぼり、再び玉ネギの下へいそいそとお出掛けしたのです。

 わたくしKISSのオリジナル・メンバーのお歳って、初めて知りました。ポールとエースが名前を入れ替えたのは初来日のレビューに出てたから知ってたけど、あんましプロフィールとか熱心に調べるほうではないので、お気に入りのアーティストやドライバーの私生活ってわりと知らないのよね。ちゃんと調べて、まぁビックリ。オリジナル・メンバーの年齢を合計すると今年で215歳、平均年齢53.75歳でありました。ひえ〜っ。

 ビックラだったのは、ジーンがイスラエルのハイファ出身だったこと。ポールとジーンは、2人ともラビになるための神学校出とゆ〜ことで、より深い絆で結ばれておるようです。ジーンは今度のイラク攻撃をどう思ってるんだろ・・・などと辛気クサイことは抜きにして、楽しいライブですからど〜んと倒錯の世界に浸りましょー。

ジーンポールエースピーター
1949年8月25日
(54歳)
1952年1月20日
(51歳)
1951年4月27日
(52歳)
1945年12月20日
(58歳)
イスラエル出身
ブルックリンへ移住
ハンガリー系
クイーンズ出身
イタリア系
ブロンクス出身 ブルックリン出身
イタリア系
Chaim Witz → Gene Klein Stanley Harvey Eisen Paul Daiel Frehley Peter George John Crisscola


 わたくしが初めて武道館へ足を踏み入れたのもKISS初来日ツアーで、追加公演だったから4月1日だったでしょう。「お誕生日おめでとう」とチケットを渡されたんだけど、もうクラスのみんなと同い年だと思った記憶があるので、3/30の公演ではなく4/1と4/2の2日出た追加のうち、初日のほうだったと思います。

 25年ぶりの武道館公演となるKISSのライブは、偶然にも2001年に東京ドームで見たあの日と同じ、3月13日のことでありました。偶然てゆーより、彼等のことだから狙って来てるような気もしますが、KISSが来日するときはいつも3月って記憶があります。まさか春休み前で飛行機が安かったから、な〜んて理由じゃないでしょうけどね。前回のドーム公演のレビューでは、初来日の加熱ぶりとステージ外の演出なんぞを書いてみましたが、今回は伝説のブドーカン再現とあって、当時のステージングなんぞも書いてみようと思います。余談ですけど、今見たら初来日のときのご遊行は、大船の観音さまも含まれてたのね。ちっ、なんで地元なのに行かなかったんだろ。ま、行ってもパンピーはシャットアウトだったでしょうけどね。




 今年のツアーはエースが来られなくて、「今度のエース」はトミー・セイヤーさんとゆーそうな。なんでもKISSのコピーバンドをやってたとかで、かなり雰囲気をつかんではいるのだが、ちと愛想が良くて爽やかすぎるのが違うかな。エースはやっぱりゼンマイ仕掛けで、ぎこちなく動いて頂かないと。でもソロを弾くときのクネクネぶりは、とってもよくコピーしてますね。マイクスタンドにビッシリ張り付けたピックは今年も健在で、今度のエースもいっぱい投げ散らかしておりました。いいにゃぁ、欲しいじょ、欲しいじょ。

 あぁ、そしてピーター。2年越しでやっと会えたわん。タムをロールするときに、ちょっとアゴが上がって背筋が伸びちゃうところや、演奏中にどこを見るともなくふっと右を向くクセは、まさしく本人。なんかすごくオタッキーで重箱隅つつきなコト書いてますが、彼等は塗っちゃうと分からないですからね。2001年のドーム公演のときも、「ピーターは来てない」と頭では分かっていたのに、幕が落ちた途端に「あり? ピーターっていつからツーバスにしたんだろ」な〜んて思ったくらいだし。今回も帰ってきてからKISS掲示板なんぞを見ていたら、初日にいらしたみなさまが「あれはホントにジーンか?」と不安げに書いていたものです。だいじょびです、ホンモノですよぉ。

 変わったところといえば、ピーターのドラムセットがシンプルになったことでしょか。この人、ジャズ畑の出身だからタムは多くないハズなんだけど、そこはそれ。初来日当時はQUEENだ、ANGELだ、エアロだ、とド派手なバンドが目白押しだったので、KISSたるもの見た目で人後に落ちるのは許せなかったんでしょう。タムの数はなんと17個。それをジャズ出にふさわしくリムを水平近くセットするもんだから、背中の後ろまでハイタムが回ってしまって、前代未聞の「タム3段積み」。ロック・ショウなんかにも「ホントに全部叩いてるのか?」なんて記事が載ったと記憶してますので、シンバルも14〜15枚はあったと思います。マイクスタンドは、ピーターだけで32本使ったらしい。

 で、背後にはなぜか「秦」と筆描きされたドラが下がっていて、両脇には黒猫セットがど〜ん。巨大なドラムセットは花火発射台の絶好の隠れミノになっていて(いつものマグネシウムは日本の消防法では使えなかった)、そこかしこからボカンボカン火花が上がって、ドラムセットがせり上がらないと中々お顔が見えません。つーても、タムに埋もれて最初からピーターの姿は全然見えないんだけどね。両脇のネコ目も時々光るんですが、ドラムセットがせり上がると、もちろんそこにも地獄ネコ。全部使ってるのか疑惑のあったタムは、ドラムソロと「Hard Luck Woman」でいちお半分は使ってました。シンバルは全部使ったかどうか憶えてないけど、たぶん立ち上がってセットを駆けずりまわるときに、どっからでも叩けるよーに同じものがいっぱい着いてた気がします。

 鶏頭のくせになんでこ〜ゆコトだけはしっかり憶えているのかと申しますと、25年前の洋楽ってのはプロモーション・フィルムすらロクに作り込んでなくて、ライブを切り貼りしたものをたれ流しにする程度だったんですよ。ビジュアル命のKISSですら、日本で見ることの出来た動くKISSは、「Hard Luck Woman」のバックになぜか「I Want You」のライブビデオが使われていた、かなりお粗末なものだったりしたんです。楽曲とビデオのズレっぷりがどのくらい違和感があるかとゆ〜と、ポールの指差しアクションと共にマグネシウムがボカーンと爆発して、中学生の私が見ても口の形が「I want you!」と絶叫してるのが分かるほど。口の形まで読み取らなくても「Hard Luck Woman」て、ピーターがソロを取るスローバラードだしね。それでも貴重な「動く外タレ」見たさに、夕方の短い放映時間めがけて帰宅して、チャンネル・キープしたものでした。

 それが初めて生で見る外タレの「予習」なんていったら、あ〜たもぉ。ロック雑誌は来日に合わせて表紙が全部そのバンドのブロマイドと化すので、決死の全誌まとめ買い。たぶん記事になるのは同じワールド・ツアーのちょっと前の公演だから、セットの端まで見えるところはぜ〜んぶ頭に入るくらい何度も見るですよ。解説も全員分のを何度も読むから、当日までに誰がなんて言ってたか全部記憶されてるし、いまだに憶えてるコラムがあるってことは、「予習復習が大事ってこ〜ゆ〜ことね、せんせー、あなたは正しかった」ってとこでしょう。だからきっと実際に目で見たものと、雑誌の記事の記憶がごっちゃになっていると思いますが、付録の歌詞カードやコード表はもちろん永久保存版だし、レコードは擦り切れるまで聴き倒して、寸分違わず歌えるよ〜に気張って予習しちゃったりするんです。でも実際ライブに行くと、バージョンが違うんだけどね。がはは。

 こり、前回のレビューにもちろっと書いたけど、他の外タレって気分でアドリブが変わるのよね。てか、アドリブなんだから変わってとーぜんなんですけど、KISSってライブはライブ、スタジオはスタジオで徹底してるのですよ。バージョンがハッキリ違うんだけど、ライブアルバムを持っていれば、かなり正確にステージングがコピー出来るんです。よって初来日のときは、発売直後の「ALIVE II」を持ってた子はヒーローでした。当時はKISSのコード表なんて売ってなかったから、楽曲をコピーしたい子はコードが聞き取りやすいスタジオ盤に走っていたのですよ。みんなただでさえお年玉をチケット代に回そうと必死で節約してるのに、そんな時期に2枚組のライブアルバムなんて出さないでよぅと。

 ところがライブ版とバージョンが違うことに気付いた子がおりまして、一気にヒーローになったライブ盤の持ち主は、延々知り合いの間を駆け巡って旅に出ていた愛盤が、いつ戻るかと公演直前まで気を揉むことになるんですけどね。しかもKISSの来日は中学卒業の年の3月で、持ったまま別の高校へ行かれたらたまらないから、持ち主は生きた心地がしなかったでしょうね。いや、申し訳ない。知り合いループの中の1名として、鄭重におわび申し上げます。あんたは、エライ!

 そして初来日当時のオーディエンスは、紛れもなく女子供の総本山。英語のMCなんて聞いて分かるワケありません。でもそこはそれ。どこまでもお客に優しいポールは、ワケの分からない早口でまくしたてたりしないんです。こりわ2001年のドーム公演のときも思いましたけど、当時から日本語リップサービスやカンタンな英語の復唱程度で、客席を盛り上げてくれました。初来日のときも前座はおらず、幕が落ちたらもうそこに全員スタンバってて、おびただしいスモークとマグネシウムの爆発音(音だけ)でいきなりデトロイト・ロック・シティのイントロが始まると、マーシャル5段積みからフロントの3名が飛び降りる演出でした。ひえー、あのブーツで飛び降りたぁ。あー、火吹きはガソリンではなくエーテルの小さな炎だったけど、ホントにやってくれるのねん。極東の子供達は目まぐるしく繰り出されるショウに、ホントにこりわサーカスだわぁと半ば口を開け気味に見守っておりました。

注)こりも一番下の言い訳にあると〜り、「2度目の来日」のときのオープニングです。アンプから飛び降りるのはLA系の他のバンドもやっていて、たしかロンブーで飛び降りた瞬間に両足をX型に骨折して、来日延期したヤツもいたよなぁ。


 ちと不満だったのは、オープニングとアンコール2回目以降でないと、アリーナの人でも立ち上がれなかったんです。我々は1階席とゆ〜名の2階テラスの前から2列目、しかも通路側とゆー超ラッキーな位置だったので、おかまいなしに立って騒いでましたが、アリーナのお客さんはちょっとでも立ち上がると、すぐに「座ってくださ〜い!」「座らないと公演を中止しますよぉ」と威圧的に取り押さえられて、1階席のがオトクだったかもね、な〜んて口々に言ったものでした。




 時は流れて、2003年でございます。今回はコスプレ・ウォッチングにも最適な、「喫茶武道」で待ち合わせ。こり、思わず行きたくなるスゴイお名前でしょ。記憶の彼方にはうっすらあったんですが、武道館の本体にくっついていたものか、脇に建ってるものだったか自信ナシ。したがって行くまではドキドキものだったんですが、ガラス張りのカフェテリアは門に近い2階にあって、食事が出来るほうの喫茶武道は地下なのね。上の写真はお食事処のほうの看板ですが、「&」がポンドのマークになっちゃってるところが、またいいのよね。

 こちらは入口看板。ロゴが武道しちゃってます。営業時間が潰してあるけど、概ね18時で終わりらしいです。うっかり長居をしちゃっても、ちゃ〜んと開演には間に合うようになっているのです。あぁ、すばらぴー。この日はなんと16時閉店でございました。

ほれ、さすがは武道館でしょ。礼儀には厳しいのでございます。トイレのみのご利用はいかんのですよ。「裸足のお客さま」はお断わりなんだじょぉ。わはははは。こんなとこを裸足で歩いてくるのかぁと思ったら。こっちのお食事処・喫茶武道へは、アリーナ席へ向かう地下の通路から、直接行かれるようでした。あぁ、ビックリした。ローディやその他のスタッフに振る舞われる「ブドーカンのうな重」ってのは、この地下の食堂からデリバるらしい。ちなみに喫茶武道のほーは、「トイレ内の着替え厳禁」でございます。化粧はいいのか?な〜んて揚げ足を取ってはいけません。コスプレもんは会場でコソコソ化粧なんてしてはいけません。ブドーカンの門を潜ったら、もうそこは戦場なのです。堂々と白塗りで九段下から歩いてきて頂きたい。でね、この看板・・・もういいよって、はい。とっとと次に行きましょー。


 プロモーターにはきわめて評判の良い「静かな日本人」も、この25年で随分成長したものです。ポールのマイクスタンドに下がってるものは、一体なんだ?と思ったら。開演直後にアリーナ前列ブロックの女子が投げ込んだブラだったようで、これがどんどんエスカレートして、ポールがアリーナ中央の飛び地へやってくる頃には、花束のように持っておりました。ひょー。みんな帰りはど〜するんだ?と思っていたら、どーせ投げるならもっとゴージャスなのにすればいいのに、とゆ〜意見もあって大笑い。

 笑えたといえば、オープニングのポールのMCも大笑いでありました。こんなとこで笑ってるのは私ら3人だけでしたが、わたくし無礼にもオープニングは「コニ〜チワ〜ァ、トキオ〜〜!」に違いない、誰か夜は「こんばんは」だよと教えてやれよぅ、な〜んて言っておったのれす。そしたらいきなりデバナをくじく「こんばんわ〜、みぃなさ〜ん!」で始まって、すでに大ウケ。ありゃ、学習したぢゃない。ときおり打ち合わせに来たであろう日本人プロモーターのモノマネもするでのですが、こりがけっこうよくコピーしています。最初は「ブ〜ドカーン」と発音してたのが、ラストの頃にはちゃんと日本語音で「ブドーカン」とゆってました。この人、耳がいいのね。したがって、いまだに譜面は読めないに違いない<おいっ

 いえね、もちろん30年もやってりゃ楽譜くらい読めるでしょうけど、小難しいことを言わないのが芸風だから、そ〜ゆ〜ことにしといたほうが、ポールらしくていいぢゃない。絶対お客を見下すよ〜なMCは入れないし、完璧な人ってちゃんと誰にでも分かるように、カンタンな言葉で喋るんですよね。わたしゃ、そ〜ゆ〜トコが好きなのれす。きっぱり。


 気になるセットリストはと言いますと、ちょびっと順番が変わってるくらいで、2年前とさほど大差はなく。今回一番の驚きは、武道館を「狭い」と感じたことと、全く期待してなかった音が意外と良かったことでしょう。周りのみなさんも口々に、「武道館でこんなにいい音が聞けると思わなかった」とおっしゃっておりましたが、あれを聞いてしまうと東京ドームは行きたくなくなるほどです。ドームは音が跳ね返ってかなり厳しかったけど、KISSにとっては巨大な仕掛けが出来る良いハコなのかな。「狭い」とゆーのも良い意味での狭さで、アリーナを取ってもらって大正解でした。あぁ、お顔がよく見える。サカイさん、いつも本当にありがとうございます!

 でもって言葉を学んだのは、ポールだけではありません。今年は英語のヤジもけっこう多かったです。さすがに25年も経てば、スライド式に年取った日本のオーディエンスも「イエ〜イ」だけぢゃないのれす。まずはオープニングで、「昨日、一昨日、2日間ブドーカンでやったけど、今日のみんなはサイコーだぜ〜っ!」とリップサービスバリバリのポールに、すかさず「毎日ゆってんだろーぉ」という突っ込みが。わはははは。こ〜ゆ〜暖かいヤジとゆーか、観客とのコミニュケーションって、英語コンプレックス真っ盛りの日本では、なかったことですね。

 「Black Diamond」のイントロでも「Angie」をちろっと歌ってはパタリと辞めて、「ごめん、次何やるんだっけか・・・みんなが聞きたかったのはこれだっけ?」とコテコテのボケをかますポールに、そこかしこから英語のヤジが飛ぶ飛ぶ。かくいう私らも「More〜〜!」「It's O.K.〜!」と下品にヤジる、右側2名。ほほほ。わたくしアンジーとホテカリのイントロが同じだったなんて、今気が付きました。てか、ピッキングを間違えたんでしょうけど、コードは同じだったのかぁ。て、ポールだから、い〜んですぅ。つぎっ。

 でもって、たらこミックが歌うと「アンジ〜、アイ〜〜ンジ〜」になのに、ポールが歌うと「エンジ〜、エ〜〜〜〜ンジ〜」なのね。あぁ、アメリカ人。なんつって。わたくし、わりとつい最近までボウイさまの「Star Man」の「There's a starman waiting in the sky〜」ちう歌詞を「There's a starman witting in the sky〜」だと思ってた、たわけ者だったりするんですけどね。なぜ難しいほうに間違えるぅ?って、だって「ワイティング」ってゆってるんだものぉ。妙な日本語英語で考えると、意味が通じなくもないからや〜よね。ええ、わたくしのヒアリングなんて、こんなもんです。ほほほ。


 さて、気を取り直して、次のボケ。えっ、まだやるの? はい、やるんです。2度ボケです。お次は不朽の名曲「Stairway to Heaven」でございます。「お〜い、だいじょびかぁ」「この先は弾けないと見たぞぉ」なんてヤジも飛びまくり。わはははは。心配されたイントロはボケるには長すぎるので、半分に端折ってそっこーでお歌にまいります。あのイントロって、ポールのギターでもうるっと来るとは思いませんでした。あー、なんで最近は12弦のダブルネックを弾かなくなったのよぅ。ありを使ってる頃にも聞きたかったわん。で、再び1フレーズかまして「これでもないよな・・・」とのたまうので、右端2名は「It's alright〜〜!」「Go ahead〜〜!」と悪ノリするする。ちうか、さらに右隣のおにーさんも「Come on! Go for it〜〜!」と叫んでいましたけどね。わはははは。

 このMCボケは初日はやらなかったそうで、ありゃラッキー。セットリストを見ると2日目が一番ボケが多かったらしく、「I Was Made For Lovin You」の前にも「La Bamba, Day Tripper, Sunshine of Your Love」と立て続けにかましたみたいですね。「La Bamba」は、ちと聞きたかったなぁ。今回のちょいボケ・ラインナップの中では、声質的に一番ポールにハマると思う。う〜ん、残念。ま、それも帰ってきてから気付いたので、現地では「やれば出来るじゃないか(すみませんすみません)」と大満足な私達でした。ぱちぱちぱちっ。


 それにしても、ウドーもなんてことするんだい。同じ週の追加公演が出たその日から、ストーンズ来日公演だとぉ? な〜んて目くじら立てちゃいけまへん。このボケはストーズ来日を意識してるらしいってのがもっぱらのウワサなので、い〜んです。ええもん見せてもらいました。でも50歳越えたおっさんが白塗りでモンロー・ウォークだなんて、イギリス人にはぜってー出来ないだろーから、張り合わなくてもだいじょびだじょぉ。わたくしグラムを語ったときに、ちと間違ってしまったかもしれません。グラムは「飽きっぽい性格ゆえに短命だった」と書いてしまいましたが、(イギリス人のみ)または「分別のつくお年頃はイギリス人が最も早く」が抜けておりました。

「次の公演でやるとしたら何だろ」
「クラプトンあたり行ってもらわないと」
「弾けないでしょー(こらこら)」
「Tears in Heavenは?」
「あー、あれなら出来そうですね」
「時代的にQUEENも行ってもらわないと」
「やっぱボヘミアン・ラプソディかな」
「Made in Heavenでもいいなぁ」
「ピアノないからね」
「エアロスミスはどーだ」
「あ、いいですねぇ」

 ・・・って、おのれら何を期待して来てるんだ。わはははは。いやぁ、でもファンサービスは徹底してる人達だから、ウケたら次もとーぜんやるでしょー。94年だか95年の来日直前のプロモーションでは、サンディエゴのKISSファンクラブのおねーさんが、しきりに「KISSは女性や子供のファンもいるのよ」と強調していたのが印象深かったんですが、心配しなくても日本ではKISSは女子供の見るものです。わたくしむしろ本国のライブビデオで見た、革ジャン・鋲打ちのハードコアなおにーさま方がダイブしたり、「うぉ〜ぉ」なんて喚声のほうが驚きました。ええ、もちろんブドーカンでは、わ〜わ〜きゃ〜きゃ〜♪ぴょんぴょんです。やっぱりKISSはこうでなくては。

 あ、筋肉痛でっか? だいじょび。今回はハノイで身体のほうも予習してたので、全くへ〜き。予習といえばこれだけ長年やってて、しかも若気の至り全開の頃から聴き倒しているバンドだと、予習いらずなのがとってもうれぴー。何を聴いても、一緒に歌って飛び跳ねられるじょぉ。ごーごー、ぴょんぴょん♪


 お約束の火吹きと血ノリもしっかり網羅して、「God of Thunder」では2階席より高い照明の梁の上まで吊り上がるジーン。おお、さすがは神様だ。パンピーより高いところにあらせられるのですね。お立ち台に乗るときに「おっとぉ・・・」と、ちとヨロけたのはご愛嬌。エラそなポーズをするほどハマるのも、ジーンならではのトクなキャラクターですね。外タレといえば15〜16曲もやれば恩の字だけど、しっかり20曲はやってくれました。あ、あれぇ。「Rock and Roll All Nite」はやらないのぉ? だ〜いじょび、ありはぜってーやるから・・・と傍らの友達に確信を持って言ったわりには、アンコール1曲目は「Beth」でございました。あー、うれぴー。今日はやらないのかと思っていたよぅ。

 お歳を考えたらジーンやポールのスリムな体型もビックリですが、25年前と全く変わらず若々しく見えたピーターには、驚きました。むしろ初来日のときは、殺人的なスケジュールでヨレヨレになってて、今より老けて見えたくらいです。他のメンバーも動くだけで絵になるから、フツーのアーティストに比べたらかなりステージングではトクしてますけど、全くもってトクなメイクよね。場内からも思わず「カワイ〜イ♪」とゆー声援が飛んでおりました。一昨年の不参加が決まったとき「ホントは行きたかったんだけどね」と言ってたのは、ただのリップサービスではなかったのかもしれません。今回のステージではとっても嬉しそうで、最後にファンが投げ込んだ巨大なKISS旗をしょって、ご機嫌で帰ってゆきました。

 そして笑って騒いで飛び跳ねまくったライブも、いよいよ大ラス。やっぱ50歳越えると、速い曲を立て続けには出来ないのかなぁ・・・なんて展開も、ラストはお約束の「Detroit Rock City」と「Rock'n'Roll All Nite」をぶっぱなし。やほーーーっ。「俺達これで終わりじゃないからね〜、またすぐ来るよぉ、来て欲しいぃ?」と、2年前のフェアウェル・ツアーをちと気にしているご様子のポール。おっけー、おっけー。飛び跳ねられなくなって足腰立たなくなるまで、何周でも地球をフェアウェルしてちょ〜らい。だってもうあ〜た達は、ビバリーヒルズに大豪邸をかまえて、一生遊んで暮らせるだけはとっくに稼ぎ出しているものね。そんなに好きなら、70越えてもやってていいぞぉ。その歳まで白塗り腰振りがイヤでなければ、だけどね。わはははは。


【KISS ARMYのみなさま】
初来日のときは「なんで軍団(ARMY)なの?」と思ったものです。ええ、4人じゃ軍団とわ言いません。が、だがしかし。地獄の使者ってのは、知らない間に増殖するのよね。わはははは。他にもよーく考えると、ヘンなとこはいっぱいあるんだけどね。なんで地獄なのに「ARMY」なんだ?とか、地獄の使者のわりにはなんで「宇宙人」と「宇宙ネコ星人」がいるんだ?とか。まー、いいじゃないですか。KISSは存在自体がコミックなんですから。

ARMYって名前を使いだしたのは、アルバム「地獄の軍団」からだったと思いますが、そりがいつの間にかクローンの呼称に変わっておりました。こうなることを予測して付けたネーミングだったら、さすがはプロモーションの神様!と関心しちゃいます。それも60年代末から派生した、本場イギリスのグラムシーンを把握していれば、容易に推測出来たことかもしれません。でもこんな姿で爆発的に売れるだなんて、誰が想像出来たでしょ。こう書くと「KISSはグラムか?」とゆーご意見も出そうですが、都内で外人向けに配られているフリー・ペーパーには、こんな文章もあったそうです。

KISS;New York's most successful glam band is still in it for the money and back stage paeties. Almost reunited (without Ace this time) and back in full make-up, studs and heels, Kiss return to the legendary Budokan where they were comic book heroes to legions of Japanese in the 70s. Expect the same explosive show, and believe it or not,they can still rock.

情報提供:サカイさん


「ニューヨークの最も成功したグラムバンド」と言い切るあたり、すばらしいです。そーだったのか。伝説のブドーカン公演と書きながら「they were comic book heroes」「explosive show」とゆーのも大笑いですが、「they can still rock」って、わはははは。「are」や「have」でわなく、「can」なのね。いや、わたくしがなぜKISSに惹かれたか、完結にご教示頂きありまとーございます。あぁ、笑い死にそうですぅ。ひーひー、ばたばた。でもって、この人達全員ニューヨーカーなのに、なんでデトロイトなの? こりわやっぱし栄光のB級映画「デトロイト・ロックシティ」を見なきゃダメでしょか。

さて、これ以上引っ張らずに、アーミーのみなさまもちろっとご紹介しておきましょう。会場でも盛んにコスプレ・ウォッチングしましたが、あの見事な人々はまさかとっとと帰ったりしないよね? だいじょびです、ココですぐに帰ってど〜するよ。出口でちゃんとスタンバッてくれてます。んでわ、往きに帰りに撮影した見事なみなさまをどじょ。


会場へはこんな風にお出ましになるのれす。ええ、さりげなく、かつ堂々と。

誰か写真撮りに来ないかしらん・・・。そうそう、そのイキです。ココでの禁じ手は、やってる本人が恥ずかしがることでございます。

お仲間に出会うと、やっぱこ〜なるワケよ。ホントに知り合いかどうかは分からんけど、たぶんその場のノリだけでそっこーで「知り合い」になるのです。ほれ、さきほどのジーンさん2名も。

こちらのトゲトゲ衣装のジーンさんは、名盤「Destroyer」時代の完コピです。いや、すばらしーっ。
横にお立ちの女性も満足げ。きゃー、どうしょましょ、一緒に写真を撮ってくれるって♪ ええ、お気持ちとってもよく分かります。表情といい、立ちポーズといい、まさにプロフェッショナルでございます。にわか撮影会では文句ナシの一番人気でした。

もちろんわたくしも、ミーハー丸出しで一緒に写真を撮ってもらいましたん。カメラ目線だともっといいでしょ?


完コピなジーンさんと言えば、この方も素晴らしかったです。「Destroyer」から2年ほど後に発表されたアルバム「Love Gun」時代の完コピです。

こちら、立ち姿のラブガン・ジーンさん。ブーツのせいでかなりデカく見えるけど、この方は完コピ・アーミーの中では小さいほう。


 表情やポーズなんかは、デストロイヤー・ジーンさんのほうがよく研究してるなぁ、さすがだなぁと思わせるものでしたが、お顔そのものはラブガン・ジーンさんのほうが似てました。背格好はデストロイヤー・ジーンさんのほうが背が高くて、似てるんだけどね。ちなみにラブガン・ジーンさんのほうは、開演まで2階席のヒーローでした。こ〜ゆ〜カッコだったら前に立ち塞がられても、まるで腹が立たないですよね。さすがは「開演を待たされても一向に腹の立たないバンド」でございます。開演前からコスプレ・ウォッチングと撮影大会で盛り上がって、開演時にはすでにお客が完全に一体化しているのも、KISSならではでありました。それにしてもみなさま、一体その衣装どこでど〜やって作ったの? きっとバンド関係者に文化服装学院の彼女とかいるんでしょうけど、ど〜ゆ〜素材をどうやってくっつけるのか、近くで見ても分からないものも多かったです。

こちら、とっても内気なポールさん。撮影をお願いしても「おげーっ!」でも「イエ〜イ!!」でもなく「あ、はい・・・」。KISSのフロント3名は軒並み190cm前後ですが、背丈の迫力はこの方が一番本物に近いです。ブーツ込みで軽く2m越えです。わたくし横に立っても、挙げた親指のとこさえ頭のてっぺんが届きません。なんで分かったかとゆーと、もう1枚並んで撮ってもらったからだよ。ほほほ。

面白いのは、完コピなみなさまほど開演しちゃうとえらく静かに見てるのよね。このポールさんもアリーナのかなり前列にお1人静かにいらしてましたが、やっぱ「自分」を見て踊るのは違和感あるんでしょか。

今回1番のわ〜い♪な写真は、こちらの女の子ピーターちゃん。手前のオリジナルペイントの革ジャンも、スゴイっしょ。もうお帰り支度が整っていっぱい着込んでいたのに、リンストバンドや鋲打ちベルト、猫手グローブのフル装備でスタンバッて、ちゃ〜んとピーターのポーズもしてくれました。いやん、カワユイ♪

この後ちゃっかり2ショットも撮ってもらいましたん。周囲からは思わず「いいなぁ」の声が上がっていましたが、こ〜ゆ〜トコでは言ったモン勝ちでしょー。えへへへへ。女性だから肩を組まれてもふにゃっと柔らかいのが、なぜか「お〜ぅ」と照れちゃう放し飼い。ぽっ。寒かったのに、ありまと〜ございました。カゼ引かないでくらさいね。



 今年はオリジナル・メンバー中エースだけ来てないとゆ〜のは、このコスプレ軍団・・・失礼。アーミーのみなさまも、ちゃんと心得てるのね。2年前のドーム公演ではピーターが来てなくて、クローン・ピーターが激少なかったものですが、前回あれほど増殖していたエースが、今回は2人しか見掛けませんでした。したがって2年越しでやっと全員見られたぁとゆー思いと、4人セットのアーミーなみなさまは今回も撮影出来ず。もぉ、次に来るときのコピーは決まったよーなものだわね。「今世紀初のオリジナル・メンバー揃いぶみ」ど〜だ。わたくし、ビール1杯賭けてもいいじょ。みんなそう思ってるだろうから、賭けにならない気もしますけど。

 そんな貴重な存在だったエースさんのうち、スーツ姿のエースさんは良かったなぁ。1階席にもほぼ完コピなエースさんがいて、お1人で静かに見てらっさいましたけど、ビジネスツーツには適いませんわ。あのミスマッチはたまりません。お堀のほうへほてほて歩きだしてから、ふらりと1人で歩いている姿を発見したときは、「Dressed to Kill(邦題:地獄の接吻・・・なんちうタイトルだ)」のジャケットみたいで、出口でフィルムを使い果たしてしまったのを心底悔やんだものでした。サラリーマンのみなさま、お勤め帰りのビジネススーツ姿でも恥ずかしがらずに、次回はどうかぜひ「白塗り」いっちゃってくらさい。4人セットでやってくれちゃったら、わたくしその写真は家宝にいたしますです。

【関連サイト】
KISS MILLENNIUMさん
快く撮影に応じてくださったみなさまは、こんなところに集結しておりました。アイコンがとってもカワイらしくて、ここんとこお気に入りのサイトです。

HEAVY KISSさん
女の子ピーターちゃんはバンドの宣伝もしてくれたので、ちろっととご紹介。頂いたフライヤーによるとHEAVY KISSとゆーバンドで、4/20に恵比寿のGUILTYとゆーライブハウスでギグるらしい。対バンの「the 20th CENTURY BOYS」って、私に対するちょーせんとしか思えないにゃぁ。グラム、バリバリなんでしょね。ちうか、思いっきりマーク・ボランしちゃってるんでしょね。ココのハコって数年前に改装記念だかオープン記念だかで、フレディ・マーキュリーの命日にQUEENのトリビュート・バンド(その名もGUEEN:グイーンてゆー超メジャーなカバーバンド)が出たライブハウスだと思ったけど、今年はそうきましたかって感じです。


2001年ドーム公演
小サイト内の放し飼い備忘録です。




【2004年5月の言い訳】
すまんっ、ほんとーに申し訳ないっ。
NHKのヤング・ミュージックショーの再放映で、信じられない大ポカをやってたことが判明しました。わたくしが行った気になっていた、感動の「大きな玉ネギの下で」は初来日ではわなく、翌年の2度目の来日のときでしたぁ。ぽっっっ。

 え〜と、え〜と、あのですね。わたくしの手元にございます当時の貴重な資料は、伝説のブドーカン公演のパンフしかありまへん。こりが初来日のときの写真で構成されてまして、件のヤング・ミュージックショーの映像と(もちろんオンタイムで見てます)、買い占めたロック誌の写真たちが頭の中で融合してですね、「あ〜、こりだぁ」なんて騒いでいたわけです。よく考えたらブドーカンで買ったパンフなのに、初来日のときに初来日の写真が出てるワケないですよね。ほほほほほ。

 たま〜に盛大なワールド・ツアーをなさる方で、皮切りに行われた本国公演とか最初の国のライブ写真を使う人もいますけど、こりはど〜見ても日本で撮影された写真だけ。なんたって大船の観音さまが写ってます。番傘さしてます。よ〜〜〜く見ると、ブドーカンの梁も写っちゃってます。

 パンフとゆってもコピーで作ったとしか思えない、ありえないほどバッチイ版下(誤植をボールペンで直した跡がモロバレ、しかも写植の貼り込みカゲ拾いまくり)と、モノクロのすんげ荒い写真が大半の「あんでこりがLP1枚分より高いのぉ」って代物なんですけどね。それでもこの頃のKISSは(今もかもしれんけど)版権にむちゃむちゃうるさくて、本国ツアーや他の国の公演写真は使えなかったハズ。たぶん国によって若干構成を変えていて、「その国で売りたいイメージ」「コテコテのリップ・サービス」とのギャップが出来るので、許可しなかったではないかと邪推しています。そりわマニアさんが各国のパンフを買い集めることを狙ったのでは?と思われたあ〜た、たぶんそのと〜りです。そ〜ゆ〜通販もありましたから。

 ここらへんが、いかにも商人KISSらしいエピソードちうことで、鶏頭の大ポカはだうぞ笑って許してやってくらさいまし。ぺこり。 ←そりが大ポカとど〜ゆ〜関係があるのだ?


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とうがらし@倶楽部冗談






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