4-1-2001(Sun.)

KISS! KISS! KISS!・・・前編

 70年代に、社会科の教師だったベーシスト率いるロックバンドが誕生した。のちに数々の興業記録を打ち立て、70年代後半には日本でも一大ブームが巻き起こり、伝説のバンドにありがちな数々の逸話を残し、影響を受けたアーティスト多数・・・。

 な〜んて紹介文を読むと、一瞬「ザ・ポリスか?」と思ってしまいそうですが、否。あっちは高校教師だけど、こっちは小学校の先生なのでした。しかもアメリカ人の4人組。1人は元タクシー運転手、1人はジャズバンドのドラマー、もう1人は・・・何してたんでしょね。とにかくブルックリンでぷらぷらしてた、ギター小僧ってことになってます。これがオリジナル・メンバーだと思われているけど、じつわメジャー・デビューする前にリード・ギターは他にいたんです。プロデューサーは元(潰れる前のってことね)ABCのディレクターだったと思ったけど、とにかくこのおっさんがやり手なのでした。

 当時はもう成田でもステップは使ってなかったと思ったけど、JALの特別機を仕立てて来たのだから、登場の仕方も「特別」なんです。「JALの特別機」でピンと来た方、そうなんです。ビートルズ初来日のときの例の映像のごとく、一番前の搭乗口にステップを横付けにして、機体にはもちろん1ショットで収まる位置に、デカデカと彼らのロゴが入っていたものです。まるで役者を変えて13年後にあれを再現したかのような、見事な演出効果でありました。といってもビートルズのあれも、元をただせば出所はかのマッカーサーが厚木基地に降り立つ場面の再現で、今ではアメリカ大統領はみんな外国訪問のときは同じことをするというので、元々はアメリカ人の発想なのかもしれません。ともかく、そうしてド派手に日本入りを果たしたわりには、「警備の都合で」彼らはフツーのイミグレを通らず、成田の厨房をすり抜けて日本の地へと降り立ったのでした。

 もちろん「警備の都合」というのは確信犯で、ならばそんな派手なカッコをしてこなければいいぢゃないか・・・という出で立ちで、厨房でチキンを調理する横をすり抜ける彼らの写真も残っています。今にして思えば、「急きょキッチンから脱出」するほうがよっぽどセキュリティ上の問題は面倒だと思いますけど、プロデューサーがメディアの効果を知り尽くした人なので、プロモーションにかかわることは一切合切このおっさんの取り仕切る中、寸分たがわぬスケージュールで進行するのですよ。キッチンに待機させたカメラマンも、事前に聞いていたであろうことは、想像に難くないです。なんせ「到着ロビーで待ちぼうけを食わされた多数のファン」てのは、なんと3大紙にまで写真が載ったものですが、アングルが1つか2つしかないというのは不自然ですよね。それに引き換え、キッチンのショットはあらゆる角度から撮影されているので、おそらくファンを撮るための控えのカメラマンだけ待機させて、事前に通達が行ったんでしょうね。

 かくして「伝説」を生むための段取りは入念に行われ、何から何まで「超」がつかないと許さないという有り様でございました。たとえば会場をどこにするかでも、音を気にするミュージシャンなら「NHKホールかサンプラあたりでいかがでしょ?」なんてとこから交渉が始まります。ところがこのおっさん音はそっちのけで、まず「日本で一番でっかいハコはどこだ?」と聞いてくる。当時はまだ東京ドームはドームではなかったので、「外タレといえば武道館」の時代でした。お泊まりは「日本で一番高級なホテル」と言うかと思ったら、こちらはなんと「日本で一番格式のあるホテル」ということで、わざわざオークラのスウィートを指定してきやがった。外タレといえば新宿の高層ホテルへ泊るのがトレンドだったのに、色々仕出かしてくれちゃったバンドがいるので、もちろん「俺達はそんなガラの悪い連中とは違うものね」的な差別化が狙いだったと思います。

 入国書類の職業欄に「サーカス」と書いてあったものだから、ときのロック雑誌には「よくこれで入国できたな」「もしや危ないショーなので、そう書かないと通れなかったのか?」なんてお粗末な記事まで登場したけど、入国手続きは「真人間のうちに」機内で済ませてしまっているので、イミグレで怪しまれることもないのであった。もちろんこれも彼らお得意の話題づくりの一部として、「お茶目なハプニング」ということになっているけど、なんたってチャーター機で「私ら乗ってます」と宣伝しながら到着したんだしね。彼らが初めて来たのは、マディソン・スクエア・ガーデンでヤードバーズの記録を打ち破って観客動員数記録を塗り替えた直後だったので、後楽園球場でやって頂いたほうが、ショーの迫力はあったのかな・・・なんて思う。日本の消防法の関係で、当日は4m程度の「火吹きショー」だったけど、そりでも今までそんなことステージでやろうなんて考えたミュージシャンはいないから、大ビックリな見せ物であったことには違いありません。さよう、77年に初来日したこのバンドは「KISS」なのでした。


 QUEENのベストアルバムに収録されているYOU'RE MY BEST FRIENDという曲の解説で、中学生時代の友人から引っ越す際に送られた思い出の曲〜というようなことが書いてあったと思ったけど、私がこの解説を読んですぐに思い出したのが、KISSの初来日でありました。かくして記憶の糸はあっちゃこっちゃと絡みながら、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったハード・ロックバンドを数珠繋ぎに思い起こさせるのだが、中でもKISSはちょっと特別な存在なんです。私は中3の2学期というフツーはあまり考えない時期に転校をして、幼なじみとも離ればなれになってしまったのだけど、KISSの来日にまつわる「友達」というのは、ずっと一緒に遊んでた幼なじみではなく学校でのKISS友達というか、他の話題で特に親しくしていた友達ではなかったんです。彼らの初来日は高校へ入る直前の春休みの最中で、ちょうど私の誕生日の前後でもありました。唐突にかかってきた電話は、半年ぶりに聞く懐かしいKISS友達からのもので、「行こうよ」というお誘いの電話だったんです。

 だがしかし。「そーゆーときは地方から電話してもらうと繋がりやすい」だとか、「先行予約のときは受付開始時間前から鳴らしておくのが基本」なんて裏ワザは知らない頃です。聞きなれない「ウドー」という呼び屋の事務所に電話をするも、1日中つながらず。「先に取れたら速攻で電話するね」などという約束は使われることなく、むなしく受付時間は終了してしまったのでした。翌日の新聞には、3日間の東京公演は即日完売のお知らせ。これだけ出たなら、きっと追加が出るに違いない。そう友達と言いながら、まんまと追加の告知が出たその日、再び「先に取れたら〜」のお約束を確認してチャレンジするも、「もしもダブっちゃったらどーしーよー」なんて心配をするまでもなく、昼過ぎにやっと電話が通じたときは、すでに完売でした。次は名古屋か大阪へ行くはずで、福岡の後に再び東京で追加が2日、そしてその後はまた違う国へというワールド・ツアーだったので、もうこれ以上追加は出ないだろうな・・・と諦めかけていたんです。その後1週間くらい経った頃でしょうか。再びKISS友達から電話が入り、どこでどう入手したのか、追加公演のチケットが手に入ったという。

 「取れたよん」の電話がなかったので、すでに諦めかけていたところへ、いきなりまんまと追加公演の2日目を押さえてくれていたのでした。かくして私とKISS友達は、「何着てくぅ?」などとコスプレの打ち合わせもして(と言っても、歳が歳なので全身黒で固めた程度だったけど)、大きな玉ネギの下でをしたのです。実際は引っ越したと言っても、鉄道の路線が変わった程度で同じ横浜市内だったから、横浜で待ち合わせをして行ったような気がするけど、玉ネギの下で待っていたのは、前の学校でやはり同じクラスのKISS仲間だった、サッカー部のキャプテンとバレー部の副主将でした。「うわぁ、そっちも取れたんだぁ。偶然だねぇ」などと呑気なことを言い放つと、「お誕生日おめでとう」と手渡された封筒には、彼らが取ってくれたチケットが入っていたんだよね。

 KISSの公演には、前座がつかないことでも有名です。国内のツアーでは時々前座がつくそうだけど、ワールド・ツアーの時はフツー前座はつけない。イメージを損なうだのギャラが折り合わないだの色々言われているけど、自分たちの取り分が減るというより、メンバーが登場するまでセットを見せたくないのだと思う。幕が下りた途端にメンバー全員がそこにいて、いきなり始まっちゃうんです。歌舞伎からヒントを得たというメイクもさることながら、ステージもすべて歌舞伎やオペラを意識した、聴くというより「見せるロック」なんです。なので、幕が下りたらもう全て「公演」。ステージでタラタラとチューニングなんかしない。ハウッてPAの調整をし直しながら、もたもたとメンバーがソデから出てくることもない。たったこれだけ気をつけるだけでも、随分他のアーティストとはステージのドライブ感が違うのだな、なんて心底感心したものでした。つまり他の外タレと違って音が外まで聞こえてきたら、それはローディがチューニングをしたり前座が出てきたところではなく、「もう始まってしまった」という合図なので、積もる話もそこそこに、開演に間に合うべく2階への階段を吹っ飛んだ4名なのでした。


かように桜の季節にも、美しい思い出はあるのでした。


 当時のパンフにはお堀の側で花見をしていたおぢさんが、「酔った勢いで悪夢を見たのかと思った・・・。だって坂の上から顔を真っ白に塗って、気味の悪い模様を描いた子供たちがウヨウヨ降りてくるんだからね」というようなことが書かれているけど、これはちょっとマユツバ臭い。ファンの年齢層が低くて、舞台用のメイキャップ道具や男性用化粧品なんて、それほど浸透していない時代です。見渡したところ、「3万人のE.YAZAWA」に比べたら遥かに見劣りするコスプレ率だったし、来日の模様は3大紙や夜のNHKニュースでも取り上げていたくらいだから、いくら外タレに疎いおぢさんとて、まるで見たこともないというのはちょっと無理があります。それに当日はまだ寒くて厚手のコートなんぞを着込んでいたから、桜は見頃ではなかったと思います。

 こんな風に、そこかしこに「ビックリ事件」のような逸話が残っているのは、それだけメディアも「伝説」に協力していたのだなということが手に取るように分かります。また協力したくなるような連中なんですよ、これが。今でこそ茶髪・金髪は日本人でも珍しくないけど、当時は「正しい外人」と言えば「金髪碧眼」でなくてはならず、あこがれの金髪をわざわざ黒く染めている外人がいるなんて、あまり考えつかない時代です。でも彼らのうち2名、エースとピーターはじつわ金髪なんです。殺人的なスケジュールをこなしていた頃は、この2名だけ「逆プリン」になってしまった写真が時々あって、「疲労がたまって白髪でも出たのかしらん」などと思ったのは浅はかであった。彼らの悪魔的イメージに沿うべく、せっかくの「日本に来たらそれだけで大モテうひゃうひゃの証であるパツキン」を、黒く染めてしまっているんですよ。金髪は日本人だけでなく白人社会でも優遇されるものなのに、まさに「売れるためなら」なんでもするんです。

 よく「本業はミュージシャンで副業はフリーター」と称する、志がたいそうお高いみなさまが「売れるためなら何でもするワケぢゃないんだぞ」なんてのたまうけど、彼らを見ていると「やれるもんならやってみぃ」という気になるんですよ。カメラマンの注文にはいつでも快く応じるし、ファンからのプレゼントは必ずプレスにも一緒のところを写真に撮らせるし、ファンからしてみれば思いっきり「私だけ特別」という気分にさせてくれるんです。中でもお気に入りだったのは身の丈50cmくらいのKISS人形で、これは本当にどこへ行くにも持参して、他の国の公演でも「日本でもらった」と言いつつ一緒に写真を撮らせていたから、彼らの日本好きはまんざらただのリップサービスではないと思いますけどね。とにかく人の気をそらさない口調や話題づくりなど、1日中自分たちが見られる商売であることを存分に意識したサービスぶりなんです。


 ポールの運転するタクシーに乗ったら、さぞや楽しかっただろうと思う。ジーンに社会科を教わった生徒は、今頃自慢しているだろうな。でもなぜかそんな話はみじんも聞こえてこなくて、ジーンとポールは「2人が一緒に暮らすとあるソーホーの屋根裏部屋で、これといった定職も持たずに1日に泥水のようなコーヒーとドーナツだけで暮らしてた時代に、何度も成功する自分を思い描いて過ごした」ことになってます。もっとも教員とタクシー運転手のサラリーで、ギブソンだのヘイマーだのマーシャルだのと次々に買い揃えれば、確かに手元に残るものは「泥水のようなコーヒーとドーナツだけの暮らし」になりそうな気はしますね。でも好きなものにはとことん注ぎ込み、決して後ろを見ない潔さが「これがプロフェッショナルなんだなぁ」と、私がつくづく感心した最初のバンドでもありました。

 ピーターの加入したいきさつがまたふるっている。日本で言うPLAYERみたいなロック雑誌に、「当方ドラマー、売れるためならなんでもする」という広告を出したという有名な逸話があるです。これを見たポールが電話をしたことになってるけど、実際は前述のマネージャー氏が目を付けたのだと思います。KISSというバンド名も、ピーター・クリスがやっていたLIPSというバンドからヒントを得て、「世界中の誰が聞いても分かる簡潔なバンド名」ということで採用になったそう。これも名前選びの王道中の王道で、ポリスやQUEENもみな同じ理由で短縮されない分かりやすいネーミングにしています。

 エースが加入したきっかけは、マンハッタンでオーディションをしたとき、「一番目立つ服装で現れて、上手いギターを引きこなすヤツだから」という理由で採用したことになっているけど、採用理由の決定打は「一番目立つ服装」のほうで、後に「お金がなかったから」とエースが言い訳することになる「左右色違いのバスケットシューズ」だったでしょう。もうこの頃にはすでに、アメリカで成功する第一条件としての「貧乏のどん底から一夜にして大スター」的なサクセスストーリー絵巻と、世界制覇のビジョンは完全に出来上がっていたんですね。

 ときは流れて、2001年の3月13日のことでございます。行ってきましたよ、KISS最後のライブ。長くなったので続きはまた今度、初来日との比較でもしながら書いてみますね。


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